107歳の母が伝えた関東大震災の壮絶な体験【100年を経て】

火災旋風の中で生き抜いた母の物語

火災旋風

関東大震災から今年で100年が経ちました。この大震災では約10万人の命が失われ、そのうち9割が火災によるものでした。その中で、107歳の女性が火災の中で生き残った体験を、彼女の娘が詳細に語っています。

関東大震災の惨状とは?

被服廠跡周辺の様子(1923年)

当時のアーカイブ映像には、関東大震災の現場の様子が残されています。建物は焼け黒く、一部からは空が見えています。倒れたままの馬や自転車、黒い姿の人々が地面に広がっています。映像には、煙の中を歩く人々やがれきの中で整理をする姿も映し出されています。

この映像には、市川ふみ子さんも写っています。彼女はこの公園で4人の家族を失いながら生き残った人の一人です。ふみ子さんは昔のことを「まるで昨日のことのように思い出してしまう」と話し、壮絶な体験を明かしています。

「ごめんなさい」と言いながら歩く人々

火事が始まると、火災の様子を見たふみ子さんは「怖い」としか感じませんでした。火災に巻き込まれた人々が逃げ惑い、七輪や荷車が飛び回っていた様子を目撃しました。自分も飛ばされて落ちた場所にたまたま水たまりがあり、それがなかったら火傷していたかもしれないと思っています。ふみ子さんによると、多くの人々が亡くなった場所を踏みながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りながら歩いていたそうです。

火災が発生した時、ふみ子さんは家族7人で逃げ込みましたが、祖母と3人の弟妹を失いました。彼女は混乱の中でたくさんの人々が犠牲になる様子も詳しく話していたと言います。

母の思いを忘れてはいけない

数年前から入院しているふみ子さんは現在寝たきりで、自分で話すことは難しい状況です。しかし、彼女の娘である征子さんによれば、元気だった頃のふみ子さんは長年災害に備えてきた姿が印象的でした。

征子さんは「母の代わりに話すことはできませんが、忘れてはいけない悲惨な体験がある」と話し、今後も多くの人々に火災の危険性を知ってもらいたいと訴えています。

この物語は、107歳の母が語った関東大震災の体験です。彼女の生き残った勇気と強さが後世に伝えられることを願っています。

日本ニュース24時間