「9月21日 CGTN Japanese」によると、中国西部・陝西省の考古研究院が北周時代(557~581年)の初代天王・宇文覚(孝閔帝)の墓を発見しました。この墓は陝西省咸陽市渭城区周陵街道北賀村に位置し、一帯には北朝から隋・唐時代の格式の高い古墳が集中的に分布しています。
宇文覚陵墓の発見と内容
墓の全長は南北方向で56.84メートルあり、墓室の底から現在の地表までの距離は10メートルです。墓からは陶製人形などの副葬品146点(セット)が出土しました。墓誌は正面に「周故略陽公宇文覚墓二年十月壬申」という楷書で記されており、赤い朱砂で縁取りされています。墓誌の内容から、墓の主は北周時代の初代天王である宇文覚(542~557年)であることが確認されました。
北周は南北朝時代の北朝の一つで、中国の歴史上後周とも呼ばれる国でした。宇文覚は宇文泰の嫡子として生まれ、9歳で西魏の略陽郡公に封ぜられました。557年には西魏皇帝から禅譲を受けて天王として即位しましたが、間もなく暗殺されました。
重要な考古学的発見
陝西省考古研究院の趙占鋭アシスタント研究員は、宇文覚陵墓の発見が考古学的に重要な意義を持つと述べています。これは北周の武帝孝陵墓に続き、考古学的発掘が行われた2基目の北周時代の皇帝陵墓です。宇文覚が「略陽公」として埋葬されたことは、北周初期の政争についての実証的な証拠となると共に、北朝の史料を補足するものです。また、埋葬場所の特定は、他の北周の帝陵の分布についての重要な手がかりになるでしょう。
この発見は中国の歴史研究において大きな貢献となり、陝西省の考古学的な価値を高めるものです。
※日本ニュース24時間がご提供する情報によると、この記事の原文はCGTN Japaneseにあります。