大河ドラマ『べらぼう』脚本家が語る吉原描写の真意と社会への問い

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』が最終回を迎え、江戸の出版人・蔦屋重三郎の生涯を通じて文化の力で時代を切り開いた人々の姿を描いた本作が大きな話題を呼んでいます。脚本を手がけた森下佳子氏は、これまでの作品で描いてきた「性搾取構造」という重いテーマに対し、今回は加害側にいる男性を主人公に据えるという新たな挑戦を行いました。吉原を舞台とした物語の描写にどのような覚悟があったのか、またオリジナルキャラクターの死が視聴者から「鬼脚本家」と称されることへの思い、そして史実とミステリーの狭間で描かれた人物造形について、その真意が語られました。このインタビューは、吉原を描くことへの強い覚悟、性産業の歴史的根深さへの考察、そしてキャラクターに託されたメッセージ、という多岐にわたるテーマに光を当てています。

森下佳子が吉原描写に込めた覚悟

森下佳子氏は、これまで『JIN-仁-』や『大奥』といった作品で吉原や女性が背負う「産む」役割といったテーマを描いてきましたが、『べらぼう』では吉原で生まれ育った蔦屋重三郎を主人公に据えることで、性搾取の「加害側」に位置する男性の視点から物語を紡ぐことになりました。これに対し、森下氏は「葛藤する余地がない」と述べ、蔦屋重三郎の生い立ちを考えれば、吉原を描かないという選択肢はあり得なかったと強調しています。もし吉原を排除すれば、彼の初期の飛躍、特に吉原時代に生まれた斬新な編集発想を全て削ることになり、出版人としての蔦重を描く上で重要な部分が失われると考えていたからです。歴史的な背景と主人公のキャラクター形成を尊重し、吉原を「故郷」として描くことが、作品の根幹をなす要素だと位置づけています。

大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第9回「玉菊燈籠 恋の地獄」の場面カット。(C)NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第9回「玉菊燈籠 恋の地獄」の場面カット。(C)NHK

吉原の経済構造と「性搾取」への視点

吉原の描写において、森下氏は単に性搾取の場としてだけではなく、町全体の経済構造の中で女郎たちが果たしていた役割に深く言及しています。吉原は、米屋や魚屋、湯屋、そして町に暮らす子供たちに至るまで、全てが女郎たちの存在によって支えられていたと指摘。「町ごと女郎に食わせてもらっていた」という認識は、当時の社会構造を理解する上で不可欠な視点です。

森下氏は、蔦屋重三郎を「こんな町は間違っている!性搾取だ!」と立ち上がる現代的な英雄として美化する意図はなかったと明言しています。むしろ、「そこに生まれついて悪い奴じゃなかったら人情としてこんな風な感じかなぁ」という、人間味あふれる人物として描くことを心がけました。そして、森下氏は「歴史に学ぶ」ことの重要性を強く訴え、吉原のしきたり、運営、経済システム、そしてなぜこのような場が社会的に「成立した」のかを理解することが、現在の社会問題を考える上で有益であると語っています。「知らない」ことの恐ろしさを指摘し、過去から学ぶことで同じ過ちを繰り返さないことこそが歴史を学ぶ意味であると、個人的な見解を述べています。

被害者ではない女性たちの主体性

ドラマでは、性搾取される側の女郎たちも、単なる被害者としてではなく、自身の意思を持ち、能動的に幸せを求める姿が描かれています。森下氏は、吉原に売られてきた女性たちの中にも、不幸な一生を送る者、堕落する者、脱走を試みる者、そしてそこから抜け出して幸せを掴もうとする者など、多様な人々が存在したことを強調しました。世の中には様々な人がいるのと同様に、吉原の中でも一人ひとりが自分の人生をどう認識し、どう未来を考えるかは異なっていたという現実をリアルに描写しています。

また、吉原は決して「出ていけない場所」ではなかったという点も言及されました。身請けや10年という年季明けの制度があり、吉原の内外で平凡な結婚をする道も存在したことを森下氏は語ります。もちろん、どれも簡単な道ではなかったものの、そこで生きることになった自分の人生をどう捉え、どう生きるかという女性たちの主体性が、作品に深みを与えています。

「ひどい!」との声が続々…『べらぼう』第31回「我が名は天」ふく(小野花梨)が亡くなるシーン。「ひどい!」との声が続々…『べらぼう』第31回「我が名は天」ふく(小野花梨)が亡くなるシーン。

歴史が語る性搾取の根深さと現代への問い

森下氏は、性搾取の構造は現代においても依然として残っているという問題意識を抱いています。多くの人が「なくなれば良い」と考えているにもかかわらず、売春が「人類最古の職業」と呼ばれ、歴史上消滅したことがないという現実を指摘し、人類がまだ達成し得ない領域であると述べています。これは、多くの人々が「ダメだ」「悲惨だ」と認識しているにもかかわらず、なくならない「戦争」と同種のものであるとも例え、私たちは結局、それを止めることすらできない哀れな愚者なのではないかという深い問いを投げかけています。

『べらぼう』における吉原の描写は、単なる時代劇の背景に留まらず、過去の社会構造から現代にまで通じる人間の愚かさや、それでもなお生きようとする人々の力強さを浮き彫りにしています。森下氏の言葉は、歴史から学び、現代社会の課題に真摯に向き合うことの重要性を改めて私たちに問いかけているのです。

出典

  • ヤフーニュース(CREA WEB):大河ドラマ『べらぼう』脚本家が語る「吉原描写」の覚悟と「性搾取がなくならない歴史」への考察