部活中の事故で娘が寝たきりになってしまった。この事故が家族の生活を一変させ、今から20年近くが経とうとしている。そして、娘が私たちに「さよなら」と告げてからも5年が経ちました。この5年間はコロナ禍に見舞われたため、あっという間に過ぎてしまったように感じます。しかし、絶望の淵で娘が積み重ねた小さな奇跡によって、私たち両親は救われてきたのです。
9月20日 愛娘33歳の誕生日
娘の仏壇に手を合わせる私たち両親。母は娘の亡くなってからの5年間がコロナ禍によりあっという間に過ぎ去ってしまったと振り返ります。父は娘の部屋に行くたびに「侑子、元気かい?」と声を出してしまいそうになると話します。
家族の生活を一変させた”あの日”
笑顔がよく似合う娘、車谷侑子さん。2003年10月18日、あの事故が起きました。母は当時の朝の様子をこう話します。「お昼はお腹が空いて帰ってくるだろうと思っていた。何か大きな事故が起きるような予感はせず、とても気持ちの良い朝でした。元気に出ていったのに…」
部活中の事故 娘は寝たきりに
当時、福島県須賀川市の中学1年生だった侑子さん。柔道の部活中に頭を強く打ち、意識を失いました。一命は取り留めたものの、寝たきりの状態になってしまいました。最初は学校側から事故の詳細について知らされませんでした。
父は当時の心情を語ります。「ここで引き下がったら、今後何があっても全て隠ぺい・捏造されてしまう。本当に行政に関しては、不信の念があったんです」と。
逸脱した暴行 学校の過失も認める
真実を知りたいと、私たちは裁判を起こしました。判決では、侑子さんを投げた元部長の行為を「指導の範疇を逸脱した暴行」と認定しました。また、学校側の安全配慮の怠りも認められました。
当時、裁判後の会見で父はこう話しました。「娘は人の悪口が大嫌いな性格でしたので、勝ち負けの言葉で表現するのはためらっています。ただ、私たちの言い分が認められたということで報告しましょう。お互い喜びましょう」と。
生きるだけで精一杯 介護の日々
事故後、母の晴美さんは仕事を辞めました。24時間付きっ切りの「介護の日々」が始まったのです。母は当時を振り返りながらこう語ります。「娘と共に生きていくだけで精一杯。娘のそばで弱音を吐くと、気持ちが伝わっちゃうので、気を付けないといけないと思っていました」。
この命日を迎えて、私たちは娘の遺したメッセージを胸に刻んでいます。侑子さんの小さな奇跡と共に、私たち家族は前へ進んでいく決意を新たにしています。
【ソース】日本ニュース24時間