元打撃投手の原田健二さん(47歳)が、阪神タイガースを退団後、徳島市の母校で新たな人生をスタートさせたと報じられています。手術を経て克服した膀胱がんによって、彼は学生寮の寮監として働いています。阪神のリーグ制覇を目の当たりにし、自身も頑張らなければと強い思いを抱いています。
第2の挑戦、母校での生活
原田さんは、昨年の10月10日に横浜で行われたクライマックスシリーズ・ファーストステージの試合前に、打者たちに投球をして登板しました。しかし、手術のための検査入院が迫っており、これが彼にとって最後の登板となりました。
新たな人生のスタート
阪神がファイナルステージ進出を果たし、原田さんはチームと別れて大阪に戻りました。手術のことを知っていたのは、当時の監督や数人の人々だけでした。彼は選手たちに心配をかけたくなかったのです。「みんなに挨拶ができなかったことが心残りで、これで退団かと思っていました」と彼は語っています。
プロ野球への情熱
元阪神の投手である原田さんは、20年間にわたり打撃投手としてチームを支えました。彼は生まれ育った大阪府で生光学園高校のエースピッチャーとして活躍しましたが、甲子園出場はかないませんでした。その後、三菱自動車水島の社会人野球チームからドラフト3位で1998年に日本ハムに入団し、最後の2002年に阪神でプレーしました。
思い出の一場面
彼のプロ野球での成績は0勝0敗1セーブですが、彼にとって最も印象的な瞬間は、高校時代に出場できなかった甲子園で投げられたことです。
打撃投手としての仕事
原田さんは2003年から打撃投手として活躍し、「打者に気持ち良く打たれて試合に送り出す」という役割を果たしてきました。彼は1日130球以上を投げ、5、6人の打者に投球することが日常でした。彼は打者が打ちやすいように、良いボールを投げることに心を配っていました。
監督との思い出
岡田彰布監督からは、「選手の調子はどうや。お前の球で打球が詰まっているんやったら今日はアカンなあ」と声をかけられました。彼は口数は少ないが、裏方を大切にする監督だったと振り返っています。
忘れられない瞬間
彼が忘れられない瞬間は、2003年と2005年のリーグ制覇でのビールかけです。「みんなで喜んで楽しんで。自分が投げられる間にもう一度やりたかった」と彼は語りました。
原田さんは新たな人生を徳島市の母校でスタートさせ、後輩たちと共に甲子園を目指して頑張っています。
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