「国内初の大規模感染」 鳥インフル、一本の電話から始まった戦い

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19年半前、京都府で未知のウイルスが蔓延した。丹波町(現在の京丹波町)の養鶏場で発生した鳥インフルエンザは、自衛隊の防疫措置が講じられる「国内初の大規模感染」となり、全国的な食の安全の問題に発展しました。

匿名の電話から始まった鳥インフルエンザ感染の嵐

「丹波町の養鶏場で千羽以上の鶏が毎日死んでいる」という匿名の電話が府南丹家畜保健衛生所に入りました。この時、アジア各地で鳥インフルエンザが広がり、国内でも山口県や大分県で感染が確認されていました。翌日、府当局は扱卵鶏の浅田農産船井農場(丹波町)に立ち入り検査を行い、一部の鶏で陽性反応が確認されました。

浅田農産船井農場が感染を疑いながら報告しなかったことが、大規模感染につながった一因でした。府が把握した時点で既に1万羽の鶏が死亡し、3月3日には別の養鶏場でも陽性が確認されました。府は船井農場から半径30キロ圏内での鶏肉や卵の移動を制限しましたが、産地が府内であるだけで、消費者からの信頼は失われ、風評被害が深刻化しました。

知事と副知事の初動対応が鍵となった

当時、副知事であった麻生純さん(74)は、鳥インフルエンザに対応する上で印象的な初動対応を振り返ります。まず一つ目は、山田啓二知事がすぐに現場の鶏舎を視察したことです。麻生さんは「司令官に何かあったらどうするんだ」と引き止めたが、知事は聞きませんでした。しかし、目で確かめることでその後の対応が大きく進みました。

もう一つは、府の対策本部会議を報道機関に公開したことです。当時、会議をオープンにすることは珍しく、職員には「発言が新聞にそのまま書かれることに抵抗があるかもしれない」という感覚もありましたが、麻生さんは「府民が公平な目で見てもらうことは、危機対応の意味で非常に重要だった」と述べています。

鶏の処分作業に自衛隊が派遣される

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最終的には約24万羽の鶏が処分されました。府の職員では手に負えず、異例の措置として自衛隊が災害派遣を行いました。白い防護服を身にまとった職員たちが鶏舎に入り、毎日100人以上が作業に従事しました。鶏ごとに袋詰めし、炭酸ガスを注入する作業です。現場で作業に当たった府職員は「鶏舎内で大量の鶏が死んでおり、腐乱しているものもありました。しばらくは鶏肉を食べられなかった」と語っています。

この記事のソースリンク:日本ニュース24時間