車いすの国会議員として活動した八代英太元郵政相は、れいわ新選組から重い障害がある2人の参院議員が誕生したことに関する産経新聞の取材に対し、「重い障害を持つ人たちが社会に出ていく大きな力になる」と期待を込めた。
タレントだった八代氏はステージから転落して脊椎を損傷し、車いす生活となった。しかし、これをバネに「福祉」を前面に掲げて昭和52年の参院選に出馬し、初当選した。
「あの頃は大変だった。永田町周辺には車いす用のトイレが一つもなかった。議員会館も入れずに『貨物用のエレベーターに乗れ』といわれるなどバリアだらけだった」
こう振り返る八代氏は国会のバリアフリー化の進展に「今は共生社会で、誰もが国会議事堂に出入りできる。議会活動に支障がないようにするのはごく自然の流れだ」と語った。
また、八代氏は「同じような障害がある人の象徴になってもらいたい」と強調する一方、「深夜国会など体力的な問題もある。『やっぱりだめだった』と思われないためにも、無理せず健康に留意して、障害者の力を示してもらいたい」と述べた。
そのうえで国会に任せるだけでなく、れいわが、党としてサポーターを育成するなど2人を支える必要性をこう指摘した。
「山本太郎代表の責任も大きい。れいわが彼らの国会活動をどうサポートしていくか、国民は見ている」(今仲信博)