和牛解散に“家一軒失う損失”と惜しむ島田洋七が「Ⅿ-1王者の人気が長続きしない」と語るワケ

「和牛」の水田信二と川西賢志郎の電撃解散が話題となっています。この解散に対し、1980年代の漫才ブームをけん引した島田洋七が「なんで誰も止めへんかったのか?」と悔しがっています。さらに、島田洋七は「和牛が解散する理由は、水田が遅刻するからだと言われていますが、それって子供じゃないんだからありえない。もし私が吉本にいたら、絶対に止めていた」と語っています。

吉本の学校がなかった頃、先輩芸人が手を差し伸べてくれた

島田洋七は自身の経験を踏まえて、コンビ解散について考えました。洋七の初代相方は団順一、2代目相方は上方真一でした。しかし、自身の東京進出に乗れなかったことから、コンビは解散することになりました。その後、洋七は洋八と組んで漫才ブームで大成功を収めました。

当時の吉本には学校がなかったため、先輩芸人が面倒を見てくれたといいます。洋七は「解散なんて言ったら、師匠や先輩芸人が止めてくれましたよ。学校ではそういうつながりがないから、誰も止めるものはいなかったんじゃないですか」と述べています。また、洋七はコンビ解散が家を失うようなものだとも語っています。

2、3分の短尺ネタばかりでは舞台の持ち時間に対応できない

洋七は「和牛」の活動を通じて、彼らがⅯ-1の審査員を務めた経験を語りました。洋七によると、「審査員は本当に大変でした。2、3分のネタでその子たちの将来性なんてわかるわけがないじゃないですか」とのことです。

最近のお笑い界では、2、3分のネタしかできない芸人が多く存在していると洋七は指摘します。それに対し、舞台では長時間持ちこたえる必要があり、2、3分のネタだけでは芸人のキャラクターが伝わりづらいのです。

洋七自身は、漫才ブーム全盛の時代に活動しており、長時間しゃべり続けることが当たり前だったといいます。一方で、現代の若手芸人は2、3分のネタに特化しているため、洋七は疑問を抱いているのです。

お笑いは簡単なものではなく、若者たちにはその厳しさを知ってほしいという洋七のメッセージが込められています。

まとめ

今回の和牛の解散により、和牛の人気が長続きしなかった理由について島田洋七が語りました。洋七は自身の経験を通じて、コンビ解散の厳しさやお笑い界の変化に言及しています。

和牛の解散は残念なニュースですが、今後のお笑い界でどんな新星が誕生するのか注目したいと思います。

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