【壮絶】Wエンジンえとう窓口、壮絶な極貧生活を告白!たくあんと白米だけの食事、借金取りからの思わぬプレゼントとは?

お笑い芸人としての顔の裏に隠された壮絶な過去

明るい笑顔と軽快なトークで人気のお笑いコンビ「Wエンジン」のえとう窓口さん。しかし、その笑顔の裏には、想像を絶する壮絶な貧困生活を送っていた過去がありました。17日に放送されたテレビ東京「有吉木曜バラエティ」に出演したえとうさんは、少年時代の壮絶な極貧生活を赤裸々に語りました。

父親の病と1000万円の借金、そして始まった極貧生活

えとうさんは小学生までごく普通の家庭で育ちましたが、中学1年生のときに父親が病気で倒れたことをきっかけに、生活が一変します。なんと、父親の自営業は借金に基づいており、1000万円もの借金が発覚したのです。

家賃を払えなくなり、一家は近所の米屋の倉庫を改造した家に引っ越しを余儀なくされました。サビだらけのトタン屋根、隙間風が入るボロボロの壁、壊れた浴槽…。家賃は月2万円と格安でしたが、その生活は決して楽なものではありませんでした。

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たくあんと白米だけの食卓、寒さをしのぐための涙ぐましい努力

食事は、大家が米屋だったこともあり、白米は安く手に入りました。しかし、おかずを買う余裕はなく、毎日のようにたくあんと白米だけという食生活が続きました。時には、小麦粉と水を混ぜて焼いたものに砂糖をかけて食べるなど、想像を絶するような食事で空腹を満たしていたといいます。

冬は暖房器具もなく、隙間風が入ってくるため、家の中は凍えるような寒さでした。えとうさんは寝る前に30分ほど手足を動かして体を温めていたといいます。

貧困を告白したことで得られた周囲の温かさ

引っ越し当初は貧乏であることを恥ずかしく思っていたえとうさん。しかし、「いっそ貧乏をさらけ出そう」と決意したことで、周囲の目が変わりました。

先生や友達が、給食の残飯や牛乳などを「捨てるならえとうに持っていけ」と、えとうさんの机の上に置いてくれるようになったのです。学校全体がえとうさんを支えようとする温かい気持ちに包まれました。

借金取りからの思わぬプレゼント、そして20年かけて完済

47歳という若さで父親を亡くした後も、母親はパート、姉とえとうさんは新聞配達などで家計を支えましたが、1000万円もの借金を返すめどは立ちませんでした。

ほぼ毎日、借金取りが家に押しかけてくるようになり、えとうさんは新聞配達で稼いだ100円、200円を支払っては、その場をしのいでいました。

そんなえとう少年の姿に心を打たれたのか、あるクリスマスの日、借金取りは大きなケーキを持ってきて、「これ食べな」と渡してくれたのです。えとうさんにとって、借金取りがサンタクロースに見えた瞬間でした。

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壮絶な経験を乗り越えて

えとうさんは、この壮絶な少年時代の経験について、「下を向かないと決めていました。苦労に対する忍耐力は間違いなくつきました。この家の育ちのおかげで、地元大分で仕事ができていることに感謝しています」と語っています。

借金は家族全員で約20年かけて完済。今では人気芸人として活躍するえとうさん。その笑顔の裏には、想像を絶する過去と、それを乗り越えてきた家族の強い絆がありました。