藤原道長の娘・彰子はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「夫である一条天皇の譲位という大事を知らされなかったことで、父と距離を置くようになる。それがきっかけとなり大いに成長し、天皇家を支える国母となっていく」という――。
■「私たちは父上(道長)の道具にございます」
藤原道長(柄本佑)を中心に、仲間の公卿たちが酒を飲んでいる場で、藤原公任(町田啓太)は「順当にいったら次の東宮は敦康様、その次は敦明様だが。道長の御孫君が東宮となられるのは、ずいぶんと先の話だな」と言葉を投げた。
それを受けて、藤原行成(渡辺大知)も「そうでございますな」と応えたが、道長は本音を語った。「できれば俺の目の黒いうちに、敦成様が帝とおなりあそばすお姿を、見たいものだ」。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第39回「とだえぬ絆」(10月13日放送)の一場面である。
東宮の居貞親王(木村達成)のもとに入内することになった道長の次女の妍子(倉沢杏菜)が、姉の中宮彰子(見上愛)を訪ねて語った話が、道長の実態をよく表していた。「父上は帝の皇子も東宮様の皇子も自分の孫にして、権勢を盤石になさろうとなさるお方。母上も父上と同じお考えでございましょう。私たちは父上の道具にございます」。
その後、元服を前にした敦康親王(片岡千之助)に、彰子は語りかけた。「これからも敦康様をわが子と思い、ご成長をお祈りしております。立派な帝におなりあそばすために、精進なさいませ」。
これらの場面から、道長と長女の彰子のあいだでは、次の東宮(皇太子)にはだれがなるべきか、考えに大きな開きがあるのが伝えられたように思う。
そして、次回予告で流されたのは、彰子が道長に向かって「どこまで私を軽んじておいでなのですか!」と、泣きながら声を荒げる姿だった。
■一条天皇と中宮彰子の切実な願い
ドラマでは一条天皇(塩野瑛久)が、寵愛した亡き定子(高畑充希)が産んだ第一皇子の敦康親王を、次の東宮にしたいと強く願い、その元服について気にかける様子が、繰り返し描かれてきた。
実際、寛弘7年(1010)7月17日に、敦康親王が道長の加冠で元服する前後、敦康親王家の別当(長官)でもあった行成は一条天皇から、敦康を東宮にしたいという相談を、何度ももちかけられている。
彰子もその点に関し、一条天皇と同様の願いだったようだ。元服の儀式を終えて成人服に着替えた敦康親王の訪問を受けた際、彰子は野太刀1柄と横笛1管を贈っているが、これも敦康への特別の配慮と思われる。
敦康に対してだけではない。たとえば、定子の弟(伊周の弟)である隆家の娘が着袴の儀(はじめて袴をはかせる儀式。今日の七五三に該当する)を行えば、彰子はそのための装束を贈っている。一条天皇の気持ちを考えて、定子の親族への配慮も欠かさなかった。