《スーパーボランティアの尾畠さんが能登半島入りも 1日で活動断念した理由》被災地を前に初めて涙した日、明かした「85歳を区切りに引退」発言の真意


【写真】テトラポッドのぼって…ゴミを集めまくるスーパーボランティア尾畠さん。量がすごい

 取材班は85歳の誕生日を直前に控えた10月上旬、大分の自宅を訪ねた。そこで本人から語られたのは、ボランティアへの意外な想いだった──。【前後編の前編】

「記者さん、実は今夏に石川県の輪島へ行ってきました。本当は地震発生直後の1月に行きたかったが、車が故障していて行けませんでした。車の修理も終わり、20日分の食料などを準備してすぐに向かいました。現地はアスファルトに穴があき、道が酷かった……」(尾畠さん、以下同)

「(登録や許可が必要で)すぐにボランティア活動はできないと。『県庁と市役所、社会福祉協議会に許可をもらってOKならチームに入って行動してください』と聞いてちょっとダメだなぁと思った。これまでは被災地のボランティアセンターに行けばすぐに始められたけど。車中で1泊だけして帰りましたが被災地を前に何もできず、初めて涙が出ました」

地元で今も続けるボランティア活動

「海岸のテトラポッドには、ありとあらゆるゴミが溜っています。潮の満ち引きに合わせて3~4時間ほど清掃をしています。

 人から『手伝いますよ』と言われても断ってる。テトラポッドでの作業は危ないから、作業は全部自分でやっています」

 毎日3~4時間、歩いているという尾畠さんは、海岸沿いで大好きな歌手・芹洋子(73)の『坊がつる讃歌』を大声で歌うことが健康の秘訣だと語る。だが、長年酷使した体は悲鳴を上げていた。

「右目が見えないんです。緑内障になってダメと言われました。病院の先生から眼帯を勧められましたが断った。右耳も聞こえないけど、補聴器とかは嫌いだからつけません。あと、ガンで胃の一部を切除してるけど、自分に衰えを感じたことは、まーったくない。被災地に行くとね、普段出ないような力が出るんですよね。“バカ力”だよね」

 尾畠さんは、ボランティア活動をする上で、決めていることがあるという。



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