トレードマークの真っ赤な鉢巻き姿で全国を巡り、被災地支援や海岸のゴミ拾いなどを続けてきた尾畠春夫さん(85)。
尾畠さんの名が広く知れ渡ったのは、2018年8月に山口県周防大島町で行方不明となった2歳児を発見したのがきっかけだ。以来、 “スーパーボランティア”と呼ばれ、2020年に「緑綬褒章」を受章し、“時の人”となった尾畠さんは10月12日で85歳を迎えた。約半年前、NEWSポストセブンの取材に「ボランティア活動は85歳で区切り」と語っていたが、本当に辞めてしまうのだろうか……。
取材班は85歳の誕生日を直前に控えた10月上旬、大分の自宅を訪ねた。そこで本人から語られたのは、ボランティアへの意外な想いだった──。【前後編の前編】
「記者さん、実は今夏に石川県の輪島へ行ってきました。本当は地震発生直後の1月に行きたかったが、車が故障していて行けませんでした。車の修理も終わり、20日分の食料などを準備してすぐに向かいました。現地はアスファルトに穴があき、道が酷かった……」(尾畠さん、以下同)
大分から20時間かけてようやくたどり着いた輪島市だったが、尾畠さんを待ち受けていたのは意外な“壁”だったという。
「(登録や許可が必要で)すぐにボランティア活動はできないと。『県庁と市役所、社会福祉協議会に許可をもらってOKならチームに入って行動してください』と聞いてちょっとダメだなぁと思った。これまでは被災地のボランティアセンターに行けばすぐに始められたけど。車中で1泊だけして帰りましたが被災地を前に何もできず、初めて涙が出ました」
地元で今も続けるボランティア活動
地元の大分では、別府湾の海岸を清掃したり、子どもたちの通学路の草刈りを日々続けている。
「海岸のテトラポッドには、ありとあらゆるゴミが溜っています。潮の満ち引きに合わせて3~4時間ほど清掃をしています。
人から『手伝いますよ』と言われても断ってる。テトラポッドでの作業は危ないから、作業は全部自分でやっています」
毎日3~4時間、歩いているという尾畠さんは、海岸沿いで大好きな歌手・芹洋子(73)の『坊がつる讃歌』を大声で歌うことが健康の秘訣だと語る。だが、長年酷使した体は悲鳴を上げていた。
「右目が見えないんです。緑内障になってダメと言われました。病院の先生から眼帯を勧められましたが断った。右耳も聞こえないけど、補聴器とかは嫌いだからつけません。あと、ガンで胃の一部を切除してるけど、自分に衰えを感じたことは、まーったくない。被災地に行くとね、普段出ないような力が出るんですよね。“バカ力”だよね」
尾畠さんは、ボランティア活動をする上で、決めていることがあるという。