「私の名前はストゥブです」。2024年2月、フィンランド大統領選後の囲み取材のことだった。当選したストゥブ元首相に日本の通信社から来たと名乗ると、突然日本語で返された。驚いた記者にほほえみ、英語に切り替えて「妻が石川県で先生をしていました」とひとこと。それならと、妻のスザンヌさんにインタビューを申し込んでみた。(共同通信ロンドン支局 伊東星華)
▽日本は特別な場所
夏、首都ヘルシンキ中心部から少し離れた住宅街にある大統領公邸を訪ねた。丘の上の門で警備員を呼ぶと、手荷物検査や身体検査もなく公邸に招き入れられた。
現れたスザンヌ・イネスストゥブさん(54)は2024年3月1日にフィンランド大統領に就任したストゥブ氏の妻で、ファーストレディーだ。「日本は私にとって、とても特別な場所なんです」。法律専門家でもあるスザンヌさんは20代前半のころ、石川県で1年間、英語指導助手(ALT)として働いていた。
▽私にぴったり
生まれ育ちは英中部の小さな町、ソリハル。英国の大学を卒業した22歳の1992年「どこか知らない国で有意義な時間を過ごしてみたい」との思いを抱いていた。日本の地方公共団体などが展開する外国青年招致事業(JETプログラム)を知った。事業は1987年に開始、当時は3千人ほどを受け入れていた。
「私にぴったり!」と応募した。日本側から都会、田舎、小さい町のどれに滞在したいかと聞かれ「小さい町」と答えた。派遣先は、石川県の能登半島の付け根にある羽咋市に決まる。知りもしなかった町で、1992年7月から1年間滞在することになった。
▽初めての日本
「日本語も、日本のこともほとんど何も知らなかった」。初めて訪れた東京でJETプログラムの研修を受けた。ひらがなとカタカナを覚えたが、漢字には悩まされた。「駅の表記すら読めなかった」と苦笑いする。
羽咋市のアパートに住み、数駅先の中学校と高校で毎週、英語指導に携わった。バブル期を経て日本の国際化の必要性が議論されていた時期だった。1998年長野冬季五輪を控え「もっと英語が話せるようになりたい」という生徒が多かった。授業ではゲームやクロスワードパズルを取り入れ、英語を話す楽しさを伝えようと工夫した。
「特に大変だったという記憶はない」。30年以上前の能登地方はまだ外国人が少なかったが、人情に助けられた。「地元の方が珍しがってくれ、いろんなことを教えてくれたし、困ったときには多くの人がすぐ手を差し伸べてくれた」。生け花や料理を通して日本文化を少しずつ学び、「郵便局や病院で困らないくらい」の日本語を覚えた。近所の人に英語を教える代わりに日本の伝統楽器、琴の演奏を教わった。得意の曲は「さくらさくら」だ。その時に手に入れた琴は、大統領公邸に大事に保管しているという。