戦後70年以上経った今でも、シベリア抑留は多くの家族に暗い影を落としています。この記事では、ノンフィクションライター石村博子氏の著書『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(KADOKAWA)を参考に、一人の日本人男性の75年間の沈黙と、ロシアに残された家族の思いについてお伝えします。平和な日常の裏に隠された、重く切ない物語に迫ります。
引き揚げ船に乗れなかった父:75年の沈黙
2018年、一通の手紙が結城誠太郎氏(仮名)のもとに届きました。差出人はロシア人女性タチアナさん。彼女は祖父「ユウキミヨシ」氏を探しており、調査の結果、誠太郎氏の父親ではないかと推測したのです。同封されていたソ連時代の写真は、確かに彼の父、結城三好氏(仮名)でした。
ソ連時代の結城三好氏の写真
誠太郎氏は、終戦直後、母と共に樺太から引き揚げ船に乗り、北海道にある母の実家へ戻りました。父・三好氏は樺太に残りました。その後、資源回収業に就き、シベリアでの抑留については一切口にしなかったといいます。タチアナさんの存在、ロシアに残された家族の存在を、誠太郎氏は75年間、全く知りませんでした。
突然の真実と戸惑い
75年間の沈黙を破る手紙。誠太郎氏にとって、それはあまりにも突然の真実でした。ロシアの家族との交流を望むか尋ねたところ、彼はきっぱりと拒否しました。穏やかな生活をかき乱されたくない、過去の辛い記憶に触れたくないという思いがあったのでしょう。
家族史研究家の佐藤健一氏(仮名)は、「シベリア抑留は、帰還者本人だけでなく、家族全体に深い傷跡を残す出来事。長い年月を経て、ようやく築き上げた平穏を壊したくないという気持ちは理解できる」と述べています。
ロシアに残された家族の思い:祖父を探して
タチアナさんにとって、祖父を探す旅は長い道のりでした。わずかな手がかりを頼りに、ついに誠太郎氏にたどり着いたのです。しかし、誠太郎氏の返答は、彼女にとって受け入れがたいものであったはずです。
シベリアの風景
それでもタチアナさんは、誠太郎氏の気持ちを尊重し、交流を断念しました。彼女は手紙の中で、「私たちはユウキミヨシの息子さんの意見を尊重します。75歳という息子さんの年齢を考えると、気持ちは理解できます」と綴っています。
終わらない物語
誠太郎氏の沈黙、タチアナさんの諦念。この物語は、シベリア抑留という歴史の重さを改めて私たちに突きつけます。戦争によって引き裂かれた家族の絆、75年間の空白、そして消えることのない記憶。それは、今もなお多くの人々の心に深い傷跡を残しています。
過去の傷跡と向き合うために
この記事を通して、シベリア抑留という歴史の複雑さ、そして家族の物語の奥深さを感じていただけたら幸いです。過去の傷跡と向き合い、未来への希望を見出すために、私たちはこれからも歴史を学び続けなければなりません。
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