平安時代中期、貴族社会の権力争いを描いたNHK大河ドラマ「光る君へ」は、藤原道長と三条天皇の対立を軸に物語が展開しています。今回は、第43回「輝きののちに」で描かれた、内裏の火事をきっかけとした道長の譲位要求劇を、歴史的背景と共に紐解いていきます。
内裏の火災と道長の譲位要求
長和3年(1014年)、内裏で二度に渡る火災が発生しました。当時、天災は為政者の不徳による天罰と考えられており、道長はこの火事を口実に、三条天皇に譲位を迫ります。「天がお怒りなのでは?」という道長の言葉は、現代の私たちには少し滑稽に聞こえるかもしれませんが、当時の社会情勢を反映した、非常に効果的な政治的レトリックでした。
alt 三条天皇が参籠した京都・広隆寺
ドラマでは、この緊迫した場面に、藤原道綱のコミカルな言動が挿入されています。道長に同調し、三条天皇の怒りを買ってしまう道綱の姿は、視聴者の笑いを誘います。しかし、この描写は、藤原実資の『小右記』に基づいたもので、史実にもとづいているのです。道長と共に譲位を迫ったという意外な事実、そして実資による「愚なり」という痛烈な批判は、道綱という人物の性格や当時の政治状況を鮮やかに浮かび上がらせます。
道綱の「愚行」と実資の批判
道綱は、学識に乏しく、政治的にも無能であったとされています。実資の『小右記』には、道綱を「一文不通」と評した記述が残されており、彼が無能な貴族として周囲から見られていたことが伺えます。幼い頃から三条天皇の教育係を務めていた道綱が、天皇に譲位を迫るという行動は、確かに「愚行」と呼ぶにふさわしいかもしれません。
しかし、道綱の行動は、道長の圧倒的な権力の前では、取るに足らない些細な出来事だったのかもしれません。道長の権勢は揺るぎなく、三条天皇は ultimately 譲位を余儀なくされます。この譲位劇は、摂関政治の全盛期を象徴する出来事として、歴史に刻まれています。
alt 清水寺
平安貴族社会の光と影
「光る君へ」は、華やかな平安貴族社会の背後に潜む権力闘争や陰謀を描き出し、現代の私たちに多くの示唆を与えてくれます。歴史学者である加藤先生(仮名)は、「このドラマは、単なる歴史ドラマではなく、現代社会にも通じる人間ドラマである」と指摘しています。「権力とは何か、正義とは何か、私たち一人ひとりが考えさせられる作品だ」と、加藤先生は語ります。
まとめ:歴史のifを考える
もし、内裏で火災が起きなかったら、歴史はどうなっていただろうか?もし、道綱が道長に同調しなかったら?歴史にifはありませんが、想像力を掻き立てられるのも、歴史の醍醐味と言えるでしょう。「光る君へ」を通して、平安時代の貴族社会に思いを馳せ、歴史のifを考えてみるのも一興かもしれません。