三笠宮妃百合子さまが101歳のご高齢で逝去されました。昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁親王の妃として、83年間皇室を支え、5人のお子様を育て、激動の時代を生き抜いた百合子さまの人生を振り返ります。
戦中・戦後の苦難を乗り越え、献身的に夫を支えた日々
alt三笠宮妃百合子さまと三笠宮崇仁親王。赤坂御用地にて(2015年11月16日、宮内庁提供)
1941年10月22日、日中戦争の最中、百合子さまは三笠宮崇仁親王とご成婚。当時、女子学習院本科を卒業したばかりで、「ぶっつけ本番で」の結婚式だったと後に語られています。簡素化された儀式、取材もない中での新しい生活は、不安と緊張に満ちたものだったでしょう。
戦況の悪化に伴い、赤坂御用地の御仮寓所は空襲で焼失。防空壕での生活を余儀なくされ、「非衛生的で、一日中外にいた」と過酷な状況を振り返られています。
戦後、オリエント研究者となった三笠宮さまを献身的に支えられた百合子さま。授業のノートを代わりに写し、中東やアジアへの現地調査にも同行。8ミリカメラで記録を残し、講演時にはスライド作成や映写も担当されました。まさに、公私にわたるパートナーとして、三笠宮さまを支え続けたのです。
家族への深い愛情と、凛とした生き方
alt一般参賀にお出ましになられた三笠宮ご夫妻(2014年1月2日撮影)
百合子さまは、家族への深い愛情で知られていました。2016年に逝去された三笠宮さまをはじめ、三男の高円宮憲仁親王、長男の寛仁親王、次男の桂宮宜仁親王と、3人のお子様を亡くされるという深い悲しみを経験されましたが、墓参を欠かさず続けられました。
晩年は宮邸でリハビリ体操や日光浴を楽しまれ、複数の新聞を読むこと、テレビで野球中継を見ることを日課とされていました。美容院での髪や爪の手入れも欠かさないなど、身だしなみにも気を配り、凛とした生き方を貫かれました。宮内庁関係者によると、「三笠宮家の当主として、最期まで凛とされていた」とのことです。
激動の時代を生き抜いた皇族としての誇り
百合子さまは、激動の昭和、平成、令和を生き抜いた皇族として、常に国民に寄り添い、皇室の伝統を守り続けられました。その穏やかで気品あふれるお姿は、多くの人々の心に深く刻まれています。 料理研究家のA氏も、「百合子さまは日本の食文化にも造詣が深く、皇室の食卓を彩る伝統料理を守り伝えるとともに、新しい料理にも積極的に取り入れられていたと聞いています。その姿勢は、まさに皇室の母として、常に新しい時代を見据えていた証と言えるでしょう。」と語っています。
三笠宮妃百合子さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。