岡江久美子さんが新型コロナウイルス感染症で急逝されてから4年半。娘である大和田美帆さんは、今もなお癒えぬ悲しみを抱えながら、当時の状況や母との思い出を語っています。この記事では、大和田美帆さんのインタビューを通して、コロナ禍の混乱と突然の別れによる深い悲しみ、そして前向きに生きようとする彼女の力強い姿をお伝えします。
母との最後の会話、そして突然の別れ
大和田美帆さんは、岡江久美子さんと最後に言葉を交わしたのは、電話での会話だったといいます。2020年3月末、岡江さんに発熱の症状が出始めた頃のことです。感染対策に敏感だった大和田さんと、どこか楽観的だった岡江さん。二人の温度差から軽い口論になってしまったことが、今となっては悔やまれる最後の会話となってしまいました。まさかこれが永遠の別れになるとは、想像もしていなかったと大和田さんは語ります。
大和田美帆さんと岡江久美子さん
乳がん手術、そしてコロナ禍の影
岡江久美子さんは、2019年12月末に乳がんの手術を受けていました。この事実は、大和田さんや夫にも直前まで知らされていなかったといいます。突然の告白に驚き、涙した大和田さん。手術にも付き添いたいと強く願い、岡江さんに寄り添いました。2020年1月からは放射線治療が始まり、3月末まで続けられていました。岡江さんは病気を公表するつもりはなかったそうですが、大和田さんは、亡くなった後に公表することを決断しました。
治療中も仕事を続けていた岡江さん。2月頃にはダイヤモンド・プリンセス号のニュースを見て、一緒に不安を口にしていたといいます。3月には志村けんさんの訃報に接し、共に悲しみに暮れたこともありました。そして、その数日後、岡江さんに発熱の症状が現れ始めたのです。
食欲不振、倦怠感…そして悪化していく症状
発熱後、岡江さんの体調は徐々に悪化していきました。食欲不振や倦怠感が現れ、自宅療養を続けていましたが、回復の兆しは見られませんでした。当時、新型コロナウイルス感染症に関する情報はまだ少なく、治療法も確立されていませんでした。不安と焦燥感の中、大和田さんはただただ母の回復を祈るしかありませんでした。
医療ジャーナリストの田中氏は、「当時、新型コロナウイルス感染症は未知の病気であり、治療法も確立されていませんでした。そのため、医療現場も混乱し、患者さんの受け入れ態勢も整っていなかったのです」と当時の状況を振り返ります。
終わりに
岡江久美子さんの突然の訃報は、大和田美帆さんにとって大きな悲しみとなりました。しかし、彼女は悲しみに暮れるだけでなく、前向きに生きようとしています。母との思い出を胸に、女優として、そして母として、力強く歩み続ける大和田美帆さんの姿は、多くの人々に勇気を与えていることでしょう。この記事を読んで、少しでも岡江久美子さんの功績を偲び、大和田美帆さんの今後の活躍を応援していただければ幸いです。