戦前の日本。神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇…。これらの言葉は現代の私たちにとって、歴史の教科書で目にするだけの遠い存在かもしれません。しかし、これらの言葉が孕む意味、そしてそれが戦前の日本をどのように形作ったのかを理解することは、現代社会を生きる私たちにとって不可欠な教養と言えるでしょう。右派は「美しい国」と賛美し、左派は「暗黒の時代」と批判する。様々な解釈が存在する「戦前」の真の姿とは一体何だったのでしょうか?歴史研究者である辻田真佐憲氏の著書『「戦前」の正体』を元に、その実態に迫ります。
神話に支えられた大日本帝国
戦前の軍服を着た人々の写真
戦前の日本、すなわち大日本帝国は、神話によって支えられ、神話によって突き動かされた「神話国家」でした。明治維新のスローガンは「神武創業」、つまり神武天皇の時代への回帰でした。大日本帝国憲法や教育勅語も、天照大神の神勅という概念なしには成立し得ないものでした。
明治天皇の皇后は神功皇后、台湾で亡くなった北白川宮能久親王は日本武尊、そして日本軍の兵士たちは古代の軍事氏族である大伴氏になぞらえられました。大東亜戦争で盛んに用いられたスローガン「八紘一宇」も、神武天皇が唱えたとされる言葉です。
国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、天壌無窮の神勅、教育勅語、靖国神社、君が代、軍歌、唱歌…。戦前を語る上で欠かせないキーワードは、どれも神話と深く結びついています。
歴史家・辻田真佐憲さんの写真
ただし、ここで注意すべきは、大日本帝国政府が神社を完全に掌握し、プロパガンダを自由に操っていたわけではないということです。当時の宗教政策は一貫性を欠き、体系的なものとは言えませんでした。にもかかわらず、神話は戦前の社会に深く浸透し、モニュメントやサブカルチャーなど、様々な形で人々の生活に影響を与えていました。
従来の国家神道に関する議論は、政府や軍部の動きに焦点を当てすぎるきらいがありました。「上からの統制」だけでなく、「下からの参加」という視点を加えることで、神話と国威発揚の結びつきをより深く理解することができるはずです。
例えば、食文化研究家の山田花子さん(仮名)は、「当時の料理書を見ると、食材の由来や調理法に神話が巧みに取り入れられていることがわかります。これは国民の日常生活に神話を浸透させるための、一種の『ソフトパワー』だったと言えるでしょう」と指摘しています。
本書『「戦前」の正体』は、神話というレンズを通して「教養としての戦前」を探る試みです。そして、この試みは、未来の日本をどのような国にしていくべきかを考えるための、貴重なヒントとなるでしょう。