俳優の火野正平さんが75歳で亡くなりました。腰椎圧迫骨折をきっかけに体調を崩され、回復を待ち望む声に応えることなく、惜しまれつつもその生涯に幕を閉じました。14年間、1200日以上もの間、NHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」の旅人として活躍した火野さん。自転車「チャリオ」にまたがり、全国各地を巡り、出会った人々との温かい交流が人気を博しました。晩年は「こころ旅」のイメージが強い火野さんですが、実は若い頃は、“昭和のプレーボーイ”として名を馳せたモテ男としても知られていました。
火野正平、波乱万丈の俳優人生
1960年、本名の二瓶康一として子役デビュー。その後、「木枯し紋次郎」「飛び出se!青春」「太陽にほえろ!」など数々の人気ドラマに出演し、俳優としてのキャリアを着実に積み重ねていきました。1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」から火野正平として本格的に活動を開始。時代劇からサスペンスまで幅広いジャンルで活躍し、確固たる地位を築きました。
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数々の浮名を流したモテ男伝説
俳優として成功を収める一方で、火野さんは数々の女性スキャンダルで世間を賑わせました。「平成の火野正平」と呼ばれたDA PUMPのISSAのように、火野さんはまさにモテ男の代名詞でした。共演女優を口説きまくるという武勇伝も語り継がれています。1970年に一般女性と結婚するも、新藤恵美さん、紀比呂子さん、ホーン・ユキさん、りりィさん、望月真理子さん、仁支川峰子さんなど、そうそうたる女優や歌手との熱愛が報じられました。1982年には事実婚状態の女性との間に二人の娘をもうけています。平成に入っても女性関係の噂は絶えず、まさに波乱万丈の人生を送りました。
恨まれなかったモテ男?その理由とは
これだけの女性スキャンダルがあれば、恨みを買うことも想像に難くありません。特に、女優の小鹿みきさんとの不倫騒動は、彼女の女優生命に大きな影響を与えたと言われています。しかし、意外なことに、火野さんを恨む女性はほとんどいなかったようです。小鹿みきさんも望月真理子さんも、火野さんへの恨み言は一切口にしていませんでした。これは、告発騒動で世間を騒がせた松本人志さんとは対照的です。
母性本能をくすぐる魅力
なぜ火野さんは恨まれなかったのでしょうか?ある70代のベテラン女優Iさんは、火野さんに口説かれた時のエピソードを語っています。「真顔で土下座して『一度でいいから、お願いします』と言うんです。その姿を見ると母性本能をくすぐられるんですよ」。火野さんのモテ男の秘密は、女性を惹きつける不思議な魅力にあったのかもしれません。
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こころ旅で見せた新たな一面
晩年の火野さんは、「にっぽん縦断 こころ旅」で全国を旅する姿が印象的でした。自転車に乗り、各地の人々とふれあい、飾らない人柄で視聴者の心を掴みました。かつてのプレーボーイのイメージとは異なる、温かく穏やかな姿は、多くの人々に愛されました。
火野正平さん、安らかにご永眠ください。