2025年7月の参議院議員選挙で、参政党が予想を上回る大躍進を遂げたことは、多くの日本国民の記憶に新しいでしょう。しかし、その直後のテレビ中継では、キャスター陣が差別意識を露わにし、神谷宗幣代表に迫る姿が散見され、どちらが「排外主義」なのか判然としない状況さえ生まれました。元大阪市長・大阪府知事で弁護士の橋下徹氏は、この参政党の躍進と、それを取り巻くメディアの反応、そして民主主義が直面する課題について、独自の視点から深く分析します。
選挙結果への敬意とメディアの役割
参議院選挙後の熱気冷めやらぬ中、多くの司会者やコメンテーターの言動には、「まさか参政党がここまで議席を伸ばすとは」という驚きが露骨に表れていたように感じられます。しかし、橋下氏は、このような姿勢は民主主義の原則に反すると指摘します。どんな政党であれ、選挙で国民から票を集めたという事実は、最大限に尊重されるべきです。米国で第1次トランプ政権が誕生した際にも強調されたように、たとえ予想外の結果であっても、選挙結果の尊重は民主主義の大原則に他なりません。メディアが自分たちの価値観を独善的に押し付けることは、言語道断であると橋下氏は厳しく批判します。
日本に限らず、新聞やテレビといったメディアは、往々にして「上から目線」で当選者をジャッジしがちです。自らは一票も投じず、安全地帯から「ポピュリズム」や「排外主義」といったレッテルを貼る行為は、その政党に票を投じた有権者への侮辱に他なりません。政治を議論するのであれば、侮辱や人格攻撃ではなく、真正面から政策論で議論すべきであると橋下氏は訴えます。
「パーパス」を明確に掲げた政治家の力
参政党の政策は、内容的には橋下氏の持論とは正反対の要素を多く含んでいます。神谷代表が「インターナショナリズム」を主張し、日本人を第一に考える「日本人ファースト」の姿勢を貫くのに対し、橋下氏は「グローバリズム」を支持し、国際競争に日本企業が果敢に挑戦すべきだと考えます。しかし、ここで最も重要なのは、「旗幟(きし)を鮮明にする」ことだと橋下氏は強調します。明確な旗を立てることで、人々はその下に集うことができます。もちろん、旗印が目立つほど批判の声も大きくなりますが、そうしたエネルギーこそが、党や政治家を成長させる糧となるのです。政治家が最も恐れるべきは、有権者からの「無関心」であり、無関心は民主国家の政治にとって存続するためのエネルギーがない証拠であると警鐘を鳴らします。
政党にとっての旗印は、企業における「パーパス」にも例えられます。それを自らの言葉で明確に、そして熱量高く発信できるかどうかが、政治家やリーダーの力量を測る指標となります。国民民主党の玉木雄一郎代表が自らを「政治家YouTuber」と称し、そのすさまじい熱量と運動量で「パーパス」を訴え続けているように、神谷代表もまた全都道府県をひたすら自分の足で歩き回り、有権者に直接語りかけてきました。こうした地道な努力こそが、現在の参政党の躍進を支えているのです。一方で、立憲民主党や今の日本維新の会は、そうした熱い志で有権者に語れるパーパスを十分に持っているか疑問が呈されます。自民党で地道にこれを実践し、総裁選で圧倒的な票を得た高市早苗氏もまた、神谷代表と同じような「パーパス布教」活動を展開してきた人物であると橋下氏は評価します。
元大阪市長・大阪府知事の橋下徹氏がビジネスリーダーの問題解決ゼミナールで語る
方向性が違っても、よき「壁打ち相手」に
橋下氏は、もし自身が政治家であったなら、神谷代表は良き「壁打ち相手」になっていたであろうと語ります。これは、両者が同じ社会課題を見つめながらも、その解決へのアプローチが異なるためです。互いに議論を重ねることで、社会課題の解決策を競い合い、それぞれの持論を強化することができると橋下氏は考えます。実際に参議院選挙後、テレビやネット番組で神谷代表と討論した際、橋下氏はこのように手応えを感じたといいます。
例えば、日本でも広がりつつある社会的格差の問題に対して、神谷代表は主に「国境を高くし、保護主義政策で国内市場を守る」ことを解決策として考えます。これに対し橋下氏は、国境を取り払い他国と競争・共創することで、経済全体のパイを広げるべきだと主張します。もちろん、そこからこぼれ落ちる人々には、セーフティネットや所得再分配策などの支援策を用意することは当然の前提です。
あるいは「外国人(移民)の受け入れ」問題においても、神谷代表が「外国人移民は人口の5%に抑えるべき」と主張するのに対し、橋下氏は「20%まで受け入れ可能な体制を整え、その中で余裕のある受け入れ人数を決めていくべき」という論を展開します。橋下氏は、10%ではまだ足りず、むしろ外国人が日本社会に入ってきてくれた方が、日本社会は発展すると考えています。
ただし、その際の大前提として「ルールの徹底」が必要であるという点では、神谷代表と橋下氏の意見は一致します。橋下氏は、外国人の不法滞在が明らかになった場合、即刻退去してもらうのが原則であると考えます。悩ましいのは、もしその人が日本で生まれた子を持っていた場合です。橋下氏の考えでは、子が日本での生活を望むのであれば選択を尊重するものの、ルールを破った親には帰国してもらうべきだとしています。親と離れ離れになった子のサポートは、国や社会全体が担うべきであり、そのためのインフラ整備に力を入れる必要があると訴えます。このような親子分離策は超強硬なルール徹底派として、「非人間的だ」と非難される可能性もあるでしょう。しかし、外国人を積極的に受け入れていくのであれば、ルールの徹底は厳しくなければなりません。ここで甘い対応をしてしまえば、EU諸国で噴出した移民・難民問題と同じ轍を踏むことになりかねないと橋下氏は警鐘を鳴らします。
2010年代からのシリア危機をきっかけにEU諸国で難民問題が深刻化し、政治不安と極右政党の台頭を招いた原因は、安易な理想を掲げるエリート層の認識と、一般の生活者が抱える不安とのギャップにあったと言えるでしょう。特にドイツなどの国では「ルールの徹底」が十分にできませんでした。今の日本にも、増え続ける外国人との共生に不安を抱える人々が一定数存在することは確かです。しかし、そうした不安を口にすれば「排外主義者」などと非難されるため、なかなか発言できない状況がありました。そこに参政党が登場し、「外国人を抑制しよう」と主張したことで、多くの人々が共感を示したのです。橋下氏は、こうした現実をメディアや他党はしっかりと直視すべきだと提言します。
同じ社会課題を認識しているものの、解決の方向性が異なる相手に対して、「壁打ち」の感覚で議論を挑み、お互いに自らの方向性を確かなものにする。その上で、選挙という自由競争の場で、どちらの方向性を取るかを有権者に選択してもらう――これこそが、多様な価値観や見解を持つ有権者を分断させることなく、平和的かつ統一的に政治の方向性を決めていく民主的プロセスの根幹です。メディアは、自分の考えに反する相手に安易に「排外主義者!」「差別主義者!」とレッテルを貼るべきではありません。
政治家の戦略と今後の課題
神谷代表は、相手やその場の状況を見て見解や態度を変える戦略的な一面も持ち合わせています。選挙前は刺激的な発言で注目を集めましたが、選挙後は一転してマイルド路線に切り替えました。支持者の前で見せた咆哮は封印し、メディアに出ても笑顔を絶やさず「排外主義ではない」と繰り返し語る姿が見られました。そして一定期間メディアに出た後は、スッと姿を消し、内部固めや次の準備に入る期間と判断したのでしょう。
この戦略的な立ち振る舞いは「お見事」と言えるかもしれませんが、橋下氏は、神谷代表がかつての自分や石丸伸二氏のような、どんな場面でも喧嘩をふっかけるタイプの政治家を反面教師にしたのではないかと推測します。まずは「パーパス」を理解してもらうために強烈な旗印を掲げるものの、選挙後もその調子のまま猪突猛進することの危うさを認識しているのでしょう。今後国会が始まれば、責任ある国政政党としての態度や振る舞いが求められることになります。その具体的な内容については、次回でさらに深く議論される予定です。




