火野正平さん、75歳で逝去。波乱万丈の人生を振り返る

昭和を代表する俳優、火野正平さんが11月14日、75歳でこの世を去りました。所属事務所が11月20日に発表しました。謹んでご冥福をお祈りいたします。この記事では、多くのファンに愛された火野さんの輝かしい功績と波乱に満ちた人生を振り返ります。

子役から国民的俳優へ

東京都目黒区で生まれた火野さんは、12歳で劇団に入団。すぐにフジテレビ系『少年探偵団』のレギュラーに抜擢されるなど、子役として頭角を現しました。その後、大阪への転居を経て、関西弁を交えた独特の話し方が彼の魅力の一つとなりました。1973年にはNHK大河ドラマ『国盗り物語』の羽柴秀吉役でブレイク。この時、作家の池波正太郎氏から「火野正平」という芸名をもらいました。

火野正平さんの若い頃火野正平さんの若い頃

芸名の由来と意外なエピソード

「火野正平」という芸名には、意外なエピソードがありました。2015年の週刊文春インタビューで、火野さんは姓名判断で「スキャンダルに気をつけなはれ」と言われたことを明かしています。当時すでに多くの浮名を流していた火野さんにとって、後の祭りだったのかもしれません。

恋多き男として

数々の時代劇や映画で活躍する一方で、火野さんは多くの女性と浮き名を流したことでも知られています。15歳で出会った女性と結婚し子供をもうけた後も、女優の新藤恵美さんをはじめ、紀比呂子さん、ホーン・ユキさん、望月真理子さん、仁支川峰子さん、りりィさんなど、多くの女性と交際。複数の女性と同時進行で交際していた時期もあり、最大で11股していたと報じられたこともありました。「毎日帰る家に悩んでいた」とインタビューで語るほど、恋多き人生を送っていました。

腰痛との闘い、そして最期

今年4月から持病の腰痛治療に専念していた火野さん。しかし夏に腰を骨折し、その後体調を崩していました。仕事復帰を願っていたものの、叶うことはありませんでした。所属事務所によると、自宅で家族に見守られながら穏やかな最期を迎えたとのことです。

俳優、火野正平を偲んで

火野正平さんは、その演技力と人間味あふれるキャラクターで多くの人々を魅了しました。その功績は、日本の芸能史に深く刻まれることでしょう。ご冥福をお祈りするとともに、その輝かしい人生に敬意を表します。