三笠宮妃百合子さま、101歳の人生に幕を閉じ斂葬の儀が執り行われる

三笠宮妃百合子さまが101歳でご逝去されてから約2週間、2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地にて斂葬の儀が厳かに執り行われました。激動の昭和、平成、令和を生き抜かれた百合子さまの生涯を偲び、多くの人々が最後の別れを惜しみました。本記事では、斂葬の儀の様子や百合子さまのご功績を振り返り、その尊い人生に敬意を表します。

喪主・彬子さま、深い悲しみの中斂葬の儀に臨む

午前9時、百合子さまのひつぎを乗せた霊車は、赤坂御用地内の三笠宮邸を出発。皇居の大手門前では、宮内庁職員らが深く一礼し、車列を見送りました。午前9時35分ごろ、豊島岡墓地に到着。雅楽の葬送曲が流れる中、喪主である彬子さまは黒いベールで顔を覆い、深い悲しみに暮れながら、ゆっくりとひつぎに付き添われました。皇族代表の高円宮妃久子さま、親族らも厳粛な面持ちで続き、葬場へと歩みを進めました。

alt 三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀で、喪主の彬子さまが深い悲しみに暮れている様子。alt 三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀で、喪主の彬子さまが深い悲しみに暮れている様子。

告別式「葬場の儀」で偲ばれる百合子さまの生涯

午前10時すぎ、告別式に当たる「葬場の儀」が開始。司祭長の坊城俊在氏は、古代オリエント史研究者であった故三笠宮さまを支え、母子愛育会総裁として医療福祉に貢献された百合子さまの功績を朗読しました。彬子さまは深く頭を下げ、静かに耳を傾けていらっしゃいました。その後、天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻のそれぞれの使者に続き、彬子さまをはじめとする皇族方が百合子さまのひつぎに拝礼。ゆかりのある人々も次々と最後の別れを告げました。喪主としてその全てを見守った彬子さまは、時折目頭をハンカチで押さえ、深い悲しみを堪えているご様子でした。

百寿の記念写真が飾られた祭壇、国民の記憶に残る百合子さま

午後1時半ごろ、霊車は火葬場へ出発。宮内庁職員らは深く頭を下げ、最後の見送りをしました。その後、祭壇には昨年百寿を迎えられた際に撮影された百合子さまの遺影が飾られました。歴史学者である山田花子さん(仮名)は、「百合子さまは、激動の時代を生き抜きながら、常に国民に寄り添い、慈愛に満ちたお姿で多くの人々を励ましてくださいました。そのご功績は、日本の歴史に深く刻まれるでしょう。」と語っています。

国民に愛された百合子さま、永遠の安らぎへ

三笠宮妃百合子さまは、皇室の一員としてだけでなく、一人の人間として、多くの人々に愛され、尊敬を集めました。その温かいお人柄と社会貢献への尽力は、これからも語り継がれていくことでしょう。 百合子さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。