異国で「ガイジン」と蔑まれ…「怒羅権」を生んだ中国残留日本人2世の孤独

日本社会の裏側でその名を轟かせる反社会グループ「怒羅権」。1980年代に結成されて以来、彼らは今もなおその影響力を保ち続けています。しかし、彼らが仲間と共に徒党を組むようになった背景には、中国でも日本でも「ガイジン」として扱われ、差別に苦しんできた悲しい過去がありました。本稿では、「怒羅権」創設者の生い立ちを辿りながら、国家の都合に翻弄され、アイデンティティの葛藤を抱えながら生きる“日本人”たちの軌跡を深掘りします。

「怒羅権」の誕生地と中国残留日本人2世の背景

「怒羅権」は、太平洋戦争の混乱で中国に取り残され、後に帰国を果たした「中国残留日本人」(以下、残留日本人)の2世たちが結成したグループです。彼らは、戦後の国の移民政策や混乱の中で中国に留まることを余儀なくされた日本人の子孫であり、その多くは中国で生まれ育ちました。

彼らの揺りかごとなったのは、東京都江戸川区の葛西と呼ばれる地域です。東京メトロ東西線の葛西駅を中心に広がるこの町は、かつて漁業が盛んだった下町です。戦後の水質汚染と埋め立てによる整備が進み、巨大な団地やマンションが林立する住宅地へと変貌しました。この地は、多くの残留日本人やその家族が帰国後に集団で生活を始めた場所の一つであり、彼らの新たな生活の拠点となりました。

都会の喧騒の中で孤独を感じる若者。怒羅権の創設者が経験した日本での疎外感を表現したイメージ。都会の喧騒の中で孤独を感じる若者。怒羅権の創設者が経験した日本での疎外感を表現したイメージ。

創設者・佐々木氏の壮絶な幼少期:中国と日本、二つの国での差別

「怒羅権」の創設者である佐々木氏が日本に帰国したのは1981年、彼が11歳の時でした。中国の河北省で残留日本人2世として生まれ育った彼は、日本語を全く話せないまま日本の小学校に編入します。その後、開設されたばかりの日本語学級で、他の2世の子供たちと共に日本語を学び始めました。

佐々木氏が日本で直面したのは、想像を絶する差別と偏見でした。彼は当時の状況を次のように語っています。「日本に来てショックだったのは、あらゆる人間に馬鹿にされたことだったね。中国にいた時、俺は周りの中国人から“日本鬼子(リーベングイズ)”と呼ばれて見下されていたんです。中国の中では憎きガイジンだった。」中国では日本人として差別され、日本に来れば「中国から来たガイジン」として日本人から差別されるという、彼の経験は二重の苦悩を浮き彫りにします。

さらに、佐々木氏を追い詰めたのは、同じ残留日本人2世からの差別でした。葛西の学校には彼以外にも多くの2世がいましたが、彼らの多くは旧満州の東北3省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)出身でした。河北省出身の佐々木氏の中国語は彼らにはなまりが強く、「田舎者」として馬鹿にされたのです。中国人からも、日本人からも、そして同じ境遇の残留日本人2世からも見下されるという状況に、佐々木氏は激しい怒りを覚えます。その結果、彼は学校で一切中国語を話さないことを決意し、孤立を覚悟しながらも、せめてもの抵抗として日本語の習得に打ち込みました。

言葉を超えた偏見と「怒羅権」の形成

学校で中国語を話さなくなった佐々木氏は、必然的に日本語を習得するしかありませんでした。他の2世の子どもたちとは異なり、彼の日本語能力は飛躍的に向上しました。しかし、どれほど日本語を流暢に話せるようになっても、日本人の同級生たちは佐々木氏を受け入れようとはしませんでした。当時の中国は経済的にも遅れており、その社会主義国家としての実態は多くの日本人にとって謎に包まれ、強い偏見の対象となっていました。同級生たちは、そんな国から来た佐々木氏を「異物」として見なし、徹底的に排除し続けたのです。

このような二重、三重の差別に晒され、帰属する場所を見つけられなかった残留日本人2世たちは、自らの存在意義を暴力によって誇示する道を選びます。彼らが直面した深い疎外感と絶望が、後に「怒羅権」という反社会グループの形成へと繋がっていったのです。彼らは、社会の片隅で自らのアイデンティティを確立し、生き抜くための手段として、このグループを結成せざるを得ませんでした。

結論:忘れられた“日本人”たちの社会問題

「怒羅権」の誕生は、単なる犯罪集団の出現に留まらず、国家政策の犠牲となり、祖国からも異国の地からも拒絶された人々の悲劇を象徴しています。中国残留日本人2世が経験した差別と疎外感は、彼らが「ガイジン」として生きることを強いられ、最終的に裏社会へと追いやられた背景に深く根差しています。彼らの物語は、日本の移民社会におけるダークサイド、そして社会が抱える根深い偏見とアイデンティティの問題を浮き彫りにするものです。この歴史的、社会的な背景を理解することは、現代社会における多様な人々の共生を考える上で不可欠な視点と言えるでしょう。


参考文献:

  • 石井光太『血と反抗 日本の移民社会ダークサイド』(幻冬舎)より一部を抜粋・編集。