三笠宮妃百合子さまが11月15日に101歳でご逝去されました。26日、東京都文京区の豊島岡墓地にて、本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われ、皇族方や政府関係者、そして多くの国民が最後の別れを惜しみました。この記事では、斂葬の儀の様子や百合子さまの功績、国民からの追悼の声などをお伝えします。
厳かに執り行われた斂葬の儀
午前9時過ぎ、百合子さまの柩を乗せた霊車は港区の宮邸を出発。沿道には喪服姿の宮内庁職員や一般の方々が集まり、深々と頭を下げ、最後の旅立ちを見守りました。
三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀に参列する秋篠宮ご一家と愛子さま
午前9時35分頃、霊車は雅楽「竹林楽」の音色に包まれながら豊島岡墓地に到着。喪主を務めた孫の彬子さまをはじめとする皇族方が柩の後を静かに歩まれました。葬場の儀には、秋篠宮ご夫妻、愛子内親王殿下など10名の皇族方、石破首相をはじめとする三権の長、その他関係者を含め計481名が参列。祭壇に安置された柩の前で、坊城俊在司祭長が百合子さまの生涯を偲ぶ祭詞を読み上げました。古代オリエント史を研究された三笠宮さまを支え、内助の功に徹された百合子さまの功績を讃える内容に、参列者は深く感銘を受けていました。
三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀の様子
天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻は慣例により参列されませんでしたが、天皇陛下の使者として別所浩郎侍従長が玉串を奉奠。続いて彬子さま、秋篠宮ご夫妻らが玉串を捧げ、故人の冥福を祈られました。
激動の時代を生きた101年…国民から惜しむ声
百合子さまは、激動の昭和、平成、令和という3つの時代を生き抜かれました。富山県から上京し、斂葬の儀に参列した75歳の女性は、「穏やかな百合子さまのお姿を拝見するたびに、心が温かくなりました。3人のお子様にも先立たれるなど、大変なご苦労をされたことと思います。どうか安らかにお眠りください」と涙ながらに語りました。
歴史学者である山田一郎氏(仮名)は、「百合子さまは常に国民に寄り添い、温かい眼差しを向けられていました。そのお姿は、多くの人々の心に深く刻まれているでしょう。皇室と国民の架け橋としての役割を立派に果たされた、まさに『平成の母』と言えるでしょう」と語っています。
百合子さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます
葬場の儀の後、百合子さまのご遺体は落合火葬場で火葬され、豊島岡墓地で納骨・埋葬にあたる「墓所の儀」が執り行われました。101年の生涯に幕を閉じられた百合子さま。そのご功績と温かいお人柄は、いつまでも人々の心に生き続けることでしょう。