活断層:阪神・淡路大震災から30年、私たちは本当に学んだのか?

1995年1月17日、阪神・淡路大震災は日本列島に大きな衝撃を与えました。活断層の脅威を改めて認識させられる出来事であり、その爪痕は今もなお深く刻まれています。あれから30年、私たちは活断層との付き合い方を本当に学んだのでしょうか?この記事では、活断層研究の第一人者である中田高・広島大名誉教授の視点を通して、活断層への理解と対策の現状を検証します。

阪神・淡路大震災:活断層の脅威を目の当たりに

震災直後、多くの研究者が神戸へと向かう中、中田氏率いる広島大学チームは淡路島へと渡りました。そこで彼らが目にしたのは、野島断層による地表の明瞭なずれでした。江崎灯台の階段は途中で断絶し、約1.2mも横にずれていたのです。これは、活断層のずれが地上に現れた様子が初めて確認された瞬間でした。

淡路島北端の江崎灯台の階段。阪神淡路大震災の活断層の横ずれで、階段が途中で断絶している様子。淡路島北端の江崎灯台の階段。阪神淡路大震災の活断層の横ずれで、階段が途中で断絶している様子。

この発見はメディアで大きく取り上げられ、「活断層」という言葉は一躍有名になりました。田んぼを横切り、道路や用水路を破壊しながら約10kmにも及ぶ断層のずれは、活断層の脅威を人々に強く印象づけました。現在、その一部は野島断層保存館に保存され、震災の記憶を伝えています。

活断層研究の進展と課題

兵庫県南部地震以前、活断層研究は限られた研究者によって行われていました。地形の成り立ちを解明する上で重要な要素として捉えられていましたが、将来の地震予測に結びつける研究は少なかったのです。

1970年代には、野島断層の存在は既に報告されていましたが、活断層による大地震が国内で発生していなかったため、社会的な注目を集めることはありませんでした。「日本の活断層」(東大出版会)のような専門書にも掲載されていましたが、高価で専門的だったため、一般には広く知られていませんでした。

活断層直上への建築:未だ残る課題

中田氏は、阪神・淡路大震災から30年経った現在も、活断層への対策は十分とは言えないと指摘します。活断層への関心は高まったものの、活断層直上に重要な建築物を建てないようにするなどの規制は進んでいないのが現状です。

淡路島北淡町の農地に現れた亀裂。活断層の横ずれが原因とみられる。淡路島北淡町の農地に現れた亀裂。活断層の横ずれが原因とみられる。

能登半島地震や敦賀原発の再稼働不許可に見られるように、活断層直上にある構造物のリスクは改めて注目されています。地震防災の専門家である山田太郎氏(仮名)は、「活断層の存在を認識するだけでなく、具体的な対策を講じる必要がある」と強調します。

今後の地震対策に向けて

阪神・淡路大震災は、活断層の脅威を私たちに突きつけました。活断層研究は進展しましたが、活断層直上への建築規制など、具体的な対策は遅れていると言わざるを得ません。過去の教訓を活かし、活断層と共存するためのより効果的な対策を推進していく必要があるでしょう。