日本の高度経済成長期、数々の難事件を解決に導いた伝説の刑事、平塚八兵衛。その名は「落としの八兵衛」「ケンカ八兵衛」「鬼の八兵衛」と様々な異名で呼ばれ、その卓越した捜査能力と強烈な個性で、今もなお語り継がれています。本記事では、警視庁創立150年、そして来年迎える昭和100年を機に、平塚八兵衛の足跡と、彼が生涯をかけて挑んだ未解決事件「三億円事件」の真相に迫ります。
平塚八兵衛:異色の経歴を持つ職人刑事
昭和14年に巡査として警察官人生をスタートさせた平塚八兵衛は、その後、巡査部長、警部補、警部、警視と、すべて無試験で昇進するという異例の経歴の持ち主でした。昭和18年から退職する昭和50年3月末まで、捜査一課勤務一筋30余年。現代では考えられないこの異例の経歴は、彼の類まれなる捜査能力と実績によるものでした。彼が手がけた殺人事件は124件。帝銀事件、吉展ちゃん事件など、数々の難事件を解決し、警察最高の栄誉である警察功労章、警察功績章を受章しています。
平塚八兵衛氏
三億円事件:昭和最大の未解決事件と平塚の執念
数々の功績を残した平塚ですが、彼の名前と切っても切り離せないのが、昭和43年に発生した「三億円事件」です。時効を迎える昭和50年まで、彼はこの事件の捜査に執念を燃やし続けました。警視庁退職後、『週刊新潮』の連載「八兵衛捕物帳」で、彼は事件の真相に迫ろうと、捜査の舞台裏を赤裸々に語っています。
平塚の葛藤と決意
「三億円事件が解決しなければ、私は自殺でもしなくちゃならねえ」とまで語っていた平塚。その言葉の裏には、事件解決への強い責任感と、未解決のまま時効を迎えることへの苦悩が垣間見えます。事件発生から56年が経った今、改めて平塚の捜査記録を紐解き、事件の真相に迫りたいと思います。
三億円事件関連写真
なぜ警察官を目指したのか?
平塚が警察官を目指した動機は、意外なものでした。次回では、彼の警察官人生の始まりと、その後の捜査への情熱の源泉を探ります。 数々の難事件を解決に導いた名刑事、平塚八兵衛。彼の生き様を通して、昭和という時代と、日本の犯罪捜査の歴史を振り返ります。