映画『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が公開からわずか10日間で興行収入128億円超、観客動員数910万人を突破しました。この驚異的な数字は、もはや単なるヒット作の域を超え、日本社会に深く浸透する「社会現象」と呼ぶにふさわしい勢いを見せています。前作「無限列車編」が樹立した歴代興行収入第1位の記録(404.3億円)をも上回る勢いで、その爆発的な人気はとどまるところを知りません。
鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来 劇場版キービジュアル。主人公炭治郎と上弦の参・猗窩座が描かれ、映画の記録的興行収入と社会現象を象徴する。吾峠呼世晴原作、ufotable制作のアニメ映画。
記録的ヒットと「鬼滅経済圏」の拡大
『鬼滅の刃』ブームの原点は、漫画家・吾峠呼世晴氏が生み出した原作漫画にあります。コミックスの発行部数は2億2000万部を突破し、印税収入だけでも推定100億円に達するとされています(印税10%と仮定)。これに電子版の収益が加わり、さらにゲーム、グッズ、舞台、音楽CD、アニメDVDといった多岐にわたるメディアミックス展開により、「鬼滅経済圏」と称される巨大な市場が形成されています。先日発表されたファミリーマートとのコラボ商品が累計240万個を売り上げたというニュースは、その驚異的な経済波及効果の一端を示しています。
謎に包まれた「ワニ先生」の素顔
『鬼滅の刃』の生みの親である吾峠呼世晴氏は、その作品の規模とは対照的に、極めて謎めいた存在として知られています。1989年福岡県生まれとされていますが、性別は非公表で、公の場に顔を出すことは一切なく、自画像としてワニのイラストを使用していることから、ファンの間では親しみを込めて「ワニ先生」と呼ばれています。2021年には米国誌「TIME」の「次世代を担う100人」に選出されるという快挙を達成しましたが、その際も写真が掲載されず、「謎の作家」として紹介される異例の扱いが注目を集めました。
連載への険しい道のり:挫折と決意
現在の社会現象を巻き起こしている『鬼滅の刃』が、吾峠氏にとって初の連載作品であることは驚くべき事実です。そのデビューまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。高校生で漫画制作に興味を持ったものの、描き方が分からずに一度は挫折を経験。24歳の時に読み切り作品『過狩り狩り』を完成させますが、自信のなさから投稿をためらっていたといいます。しかし、家族の強い後押しを受け、意を決して『週刊少年ジャンプ』(集英社)に応募。「JUMPトレジャー新人漫画賞」で佳作を受賞したことが、漫画家としての第一歩となりました。
『鬼殺の流』から『鬼滅の刃』へ:転機となった編集者の助言
新人賞受賞後も、連載獲得は困難の連続でした。毎月ネームを提出してもダメ出しを受け、会議で落選が続き、何度も諦めかけた時期があったとされています。追い詰められた吾峠氏は、「連載が取れなければ漫画家を辞める」という強い決意を胸に、試行錯誤の末に『鬼滅の刃』の前身となる『鬼殺の流』を制作しました。しかし、この作品は主人公の設定が盲目、隻腕、両足義足と「重すぎる」と判断され、再び落選。この時、担当編集者からの「脇役だった炭治郎を主人公に据えてみてはどうか」という助言が転機となり、現在の『鬼滅の刃』の連載へと繋がったのです。
ゼロからのスタート:アシスタント経験なしの連載開始
さらに驚くべきは、吾峠氏がアシスタント経験がないまま連載に突入したという事実です。そのため、連載開始当初は仕事の進め方も手探りの状態でした。『ブラッククローバー』の作者である田畠裕基氏の現場を見学し、漫画制作の具体的な流れを学んだエピソードも残されています。背景の描き方や画材の扱い方についても、アシスタントから直接教わるなど、まさにゼロからのスタートでした。これほどの大ヒット作を生み出した漫画家が、キャリアの初期段階では「まったくの素人」だったという事実は、その並々ならぬ才能と努力、そして周りのサポートの重要性を物語っています。
結論
『鬼滅の刃』の爆発的な成功は、単なるアニメや漫画の人気に留まらず、社会経済に大きな影響を与える現象となっています。その裏には、作者・吾峠呼世晴氏の類稀なる創造力、度重なる挫折にも屈しない不屈の精神、そして家族や編集者の支えがありました。漫画家としての険しい道のりを経て、今日の日本を代表するコンテンツを創り上げた吾峠氏の物語は、まさに「令和のジャパニーズドリーム」を体現していると言えるでしょう。その謎に包まれた素顔の裏には、多くの苦難を乗り越え、才能を開花させた真摯な努力があったのです。
参照元
- Real Sound 映画部
- ※1 興行通信社調べ
- ※2 ファミリーマート公式発表