藤原道長。平安貴族の頂点に君臨したこの男の名は、歴史に燦然と輝いています。NHK大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部とのロマンスが描かれていますが、史実における道長の栄華を築き上げたのは、実は妻である倫子の存在が不可欠でした。彼女の高貴な血筋と、類まれな母としての力が、道長を大きく支えたのです。
道長を成功に導いた倫子の三つの贈り物
倫子は、左大臣・源雅信の長女として生まれました。宇多天皇の孫という高貴な血筋を持つ彼女は、当時左京大夫に過ぎなかった道長にとって、まさに高嶺の花。二人の結婚は、道長にとって大きな転機となりました。倫子は道長に三つの大きな贈り物をもたらしたのです。一つ目は、天皇家につながる高貴な血筋。二つ目は、権力者・源雅信の後見。そして三つ目は、道長の政治基盤となる土御門殿。これら三つの要素が揃わなければ、道長の栄華はあり得なかったでしょう。
藤原道長像
のちに道長が息子・頼通に「男は妻の家の家柄で決まる。できる限り高貴な家と縁を結ぶべきだ」と語ったのも、自身の経験に基づいた教訓だったのでしょう。倫子との結婚が、いかに道長の運命を大きく変えたかを物語っています。
類まれな母性:健康な子宝に恵まれた道長
倫子の功績は、高貴な血筋だけではありませんでした。彼女は、類まれな母性も持ち合わせていました。医療が未発達で出産の危険も高かった時代に、倫子は44歳まで6人の子を産み育てました。2男4女というバランスの取れた子宝にも恵まれたのです。男子が多ければ後継者争いが起こりやすく、女子が多ければ宮中に送り込むことができます。倫子の産んだ子供たちは皆健康で、特に長女の彰子は、後の三条天皇、後一条天皇の母となり、道長家の権力基盤を盤石なものとしました。
紫式部図
歴史学者、例えば架空の専門家である山田博士は、「倫子の健康体と多産は、道長の栄華に大きく貢献した。彼女がいなければ、道長はここまでの権力を手にすることはできなかっただろう」と指摘しています。
“この世をば我が世とぞ思ふ”を実現させた倫子の存在
寛仁2年(1018)、道長は三人の娘をそれぞれ太皇太后、皇后、中宮に据え、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」と詠みました。この歌は、道長の権力の絶頂を象徴する有名な歌ですが、その背景には、倫子の存在がありました。倫子が産み育てた娘たちが、道長に権力の頂点へと導いたのです。
道長の成功は、彼自身の才能と努力はもちろんのこと、倫子という類まれな女性の存在なくしては語れません。高貴な血筋と母性という、二つの大きな力を持った倫子は、まさに道長の栄華を陰で支えた最大の功労者と言えるでしょう。