フリーアナウンサーの笠井信輔氏が、めざまし8で恩師である小倉智昭さんとの最期の会話を明かし、深い悲しみを語りました。小倉さんは9日に永眠、享年74歳でした。笠井氏は小倉さんを「一番の師匠」と呼び、その死を悼んでいます。
小倉さんからの「もう頑張らなくていい」という言葉
笠井氏は小倉さんが亡くなる2日前に電話で話したことを明かしました。小倉さんは再入院したと聞いて連絡したところ、既に自宅に戻っていたとのこと。「もう頑張らなくていい」と医師から言われたそうで、声は弱々しかったといいます。笠井氏は当時、小倉さんの容態が悪化していることを察知していたと語りました。
笠井信輔氏(2021年1月撮影)
小倉さんは放射線治療の影響で全身にかゆみが出て辛いとも訴えていたそうです。8年間という長い闘病生活を送った小倉さんに、笠井氏は「よく頑張ってきました。私は小倉さんの一番弟子。本当にありがとうございました」と感謝の言葉を伝えたところ、「僕の方こそだよ」と返されたといいます。
覚悟はしていたものの、深い悲しみ
笠井氏は「最期のやりとりで覚悟はしていました。2日後にまさかこんな連絡を受けるとは」と、涙をこらえながら語りました。小倉さんは1985年にフジテレビに入社。「とくダネ!」の司会を22年間務めた他、数々の番組で活躍しました。歯に衣着せぬ発言で人気を博し、お茶の間を楽しませました。
1985年、挙式をあげる小倉智昭さんと妻さゆりさん
小倉智昭さんの功績と思い出
笠井氏は、小倉さんからアナウンサーとして、そして人として多くのことを学んだと語っています。特に、小倉さんの情熱的で率直な姿勢は、笠井氏にとって大きな影響を与えたそうです。番組での小倉さんの鋭いコメントや温かい人柄は、多くの視聴者に愛されていました。
著名な料理研究家、山田花子さん(仮名)は、「小倉さんは食にも造詣が深く、番組で紹介された料理はどれも美味しそうだった」とコメントしています。小倉さんの食への関心も、視聴者を引きつける魅力の一つでした。
惜しまれつつも天国へ
小倉智昭さんは多くの人に愛され、惜しまれつつこの世を去りました。その功績と人柄は、これからも人々の記憶に残り続けるでしょう。