中山美穂さん、54歳という若さでこの世を去りました。12月6日、渋谷区の自宅浴槽で亡くなっているのが発見され、日本中に衝撃が走りました。所属事務所は「入浴中の不慮の事故」と発表しています。トップアイドルとして一世を風靡した“ミポリン”の突然の訃報に、多くのファンが悲しみに暮れています。彼女の輝かしい活躍の裏には、あまり知られていない波乱万丈な幼少期がありました。今回は、中山美穂さんの知られざる過去に迫ります。
辛い別れと孤独な幼少期
1970年3月、長野県に生まれた中山美穂さん。自然豊かな環境で育ちましたが、3歳の頃に両親が離婚。実父の記憶はほとんどないといいます。その後、母親と妹の中山忍さんと共に上京しますが、母子家庭の生活は苦しく、砂糖を食べて空腹をしのいでいたこともあったそうです。
幼少期の中山美穂さん
母親は昼夜問わず働き詰めだったため、中山さんはほとんどの時間を親戚の家で過ごしました。そこで、段ボールの上に乗ってキャンディーズやピンク・レディーの曲を歌い、幼い頃から芸能界への憧れを育んでいたといいます。
育ての親との別れ、そして再婚
中山さんは、親戚、特に叔父にあたる男性を“育ての親”と慕っていました。「本当の父親のように接してくれた」と語っており、多忙な母親に代わって愛情を注いでくれる大切な存在だったようです。しかし、その叔父も若くして他界。幼少期に二度も父親代わりを失うという辛い経験をします。
自著『なぜなら やさしいまちが あったから』の中で、中山さんは当時の心境を赤裸々に綴っています。父親のような存在を求めて恋愛に走ったこと、そして数々の出会いと別れを通して、人との向き合い方、自分自身について学んだことを明かしています。
10歳頃、母親が再婚し、新しい父親と弟と共に暮らすように。長女として「しっかりしなくては」と感じていたといいます。しかし、両親の仕事の都合で都内を転々とする生活は、彼女に「帰る場所がない」という孤独感を与えました。
繰り返される転居と「帰る場所がない」感覚
度重なる引っ越しで、なかなか友達ができなかったという中山さん。女性誌のエッセイでは、当時の生活を「帰る場所がなかった」と表現しています。常に新しい環境に身を置き、人間関係を築き直すことは、幼い彼女にとって大きな負担だったのではないでしょうか。
この不安定な環境が、彼女の繊細な感性や表現力に影響を与えたのかもしれません。数々の名曲やドラマ、映画で私たちを魅了した中山美穂さん。その輝きの裏には、知られざる孤独と苦悩があったのです。