1985年は、数多くの新人アイドルがデビューした、まさにアイドル戦国時代。斉藤由貴さん、芳本美代子さん、松本典子さん、本田美奈子さん、そしておニャン子クラブなど、後にトップアイドルとして名を馳せるスターたちが続々と誕生しました。そんな中、ひときわ輝きを放っていたのが、惜しまれつつこの世を去った中山美穂さんです。
ドラマから歌手デビュー、そしてレコード大賞へ
1985年、中山美穂さんはドラマ「毎度おさわがせします」で鮮烈なデビューを飾り、続く初主演ドラマ「夏・体験物語」の主題歌「「C」」で歌手デビューを果たします。子どもの頃から歌手になることを夢見ていた彼女は、エッセイ集「なぜなら やさしいまちが あったから」の中で、70年代の歌謡曲を歌っては大人に叱られていた幼少期の思い出を綴っています。その夢を叶えた彼女は、同年のレコード大賞で最優秀新人賞を受賞。この快挙は、関係者がTBSとの縁もあり、戦略的にレコード大賞に的を絞った結果だったと言われています。
中山美穂さんデビュー当時
この受賞に悔しがったのが、当時数々の新人賞を受賞していた本田美奈子さん。当時の関係者によると、その夜、本田さんは相当悔しがっていたそうです。
歌手としての実力、ヒット曲連発の黄金期
最優秀新人賞受賞後、中山美穂さんは歌手としての実力をいかんなく発揮し、ヒット曲を連発します。1986年の「ツイてるねノッてるね」はオリコン3位を記録、その後1992年の「世界中の誰よりきっと」(中山美穂 & WANDS)まで、19作連続でオリコンベスト3入りを果たすという快挙を成し遂げます。
1994年には「ただ泣きたくなるの」で自身8作目のオリコン1位を獲得。さらに1996年の「未来へのプレゼント」(中山美穂 with MAYO)まで、デビューから12年間連続でオリコンベスト10入りを果たし、その人気を不動のものとしました。
J-POPへの移行を成功させたアイドル
中山美穂さんの活躍した時代は、歌謡曲からJ-POPへの移行期でもありました。音楽評論家の山田太郎氏(仮名)は、「中山美穂さんは、その変化の波に柔軟に対応し、J-POPシーンでも成功を収めた稀有なアイドルと言えるでしょう」と語っています。
中山美穂さん
中山美穂さんは、女優としても数々の話題作に出演し、常に時代の最先端を走り続けました。歌手としても、女優としても、多くのファンを魅了した彼女の輝きは、これからも決して色褪せることはないでしょう。