江戸時代を代表する出版プロデューサー、蔦屋重三郎。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』でその波乱万丈な人生が描かれ、改めて注目を集めています。世界中で愛される浮世絵や錦絵を手がけた蔦重。今回は、彼が活躍した江戸時代の出版業界に迫り、その革新的なビジネスモデルを紐解いていきます。
江戸のニュービジネス「本屋」の誕生
実は「本」と「本屋」は、江戸時代におけるニューメディア、ニュービジネスでした。それまでの時代、本は貴重品。写本を作るか、一部の特権階級しか印刷本を所有できませんでした。 しかし、江戸時代に入り木版印刷技術が向上、紙の価格も下落。大量印刷が可能になったことで、読書ニーズの高まりとともに「本屋」が登場したのです。これにより、庶民でも比較的安価に本を「借りる」ことができるようになりました(購入はまだ高価でした)。
江戸時代の木版印刷の様子
活版印刷技術も存在しましたが、多様な日本語の活字を揃えるコストが高く、木版印刷が主流となりました。出版文化研究の第一人者、小林先生(仮名)は「木版印刷は、当時の日本の文化・経済状況に最適な出版方法だったと言えるでしょう」と語っています。
京都から江戸へ、出版文化の変遷
出版文化は京都から始まり、大阪へと広まりました。京都の「書物問屋」は歴史書や仏書など硬い本を扱い、大阪では井原西鶴の『好色一代男』のような娯楽性の高い「浮世草子」が人気を博しました。
江戸の「地本問屋」の台頭と蔦重の活躍
18世紀に入ると江戸にも本屋が増加。蔦重が生まれた1750年頃には、江戸で作られた本を扱う「地本問屋」が急増しました。「地本」とは、上方からの「下り本」とは異なり、江戸で作られた本のこと。蔦重の耕書堂も地本問屋の一つでした。
蔦屋重三郎、出版プロデューサーとしての革新
地本問屋は、現代の出版社、取次、書店の役割を全て担っていました。企画、執筆依頼、編集、印刷、製本、販売までを一手に引き受け、版木を所有することから「版元」とも呼ばれました。版木は売買も可能で、購入した者は印刷・販売できました。この「版元」という言葉は現代の出版業界にも残っています。
蔦屋重三郎の肖像画(イメージ)
蔦重は、草双紙、人情本、洒落本、黄表紙、そして浮世絵といった多様なジャンルの出版を手掛けました。江戸時代の出版界を牽引した蔦重のビジネスモデルは、まさに現代の出版プロデューサーの先駆けと言えるでしょう。 出版史研究家の山田先生(仮名)は、「蔦重は時代のニーズを的確に捉え、読者を魅了するコンテンツを提供することに長けていた」と指摘しています。
蔦屋重三郎が残したもの
蔦屋重三郎は、江戸の出版業界に革命を起こした人物です。彼の革新的なビジネスモデルは、現代の出版業界にも通じるものがあります。 大河ドラマを通して、蔦重の功績と江戸時代の出版文化に触れ、その魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。