中山美穂さんがこの世を去ってから、すでに10日以上が経ちました。葬儀も執り行われましたが、今もなお多くの人々が彼女の死を悼んでいます。俳優、歌手として日本の芸能界の頂点に輝いた中山さん。彼女の輝かしいキャリアの原点と言えるのが、1985年に放送されたドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系列)です。この作品でドラマデビューを果たし、ツッパリ少女・のどか役を演じた彼女は、その類まれなるルックスと演技力で瞬く間に注目を集め、スターダムへと駆け上がりました。当時、中山さんの所属事務所でマネージャーを務めていた岡嶋康博氏(仮名)に、彼女との思い出を伺いました。
alt(15歳の中山美穂さん。セーラー服姿が初々しい。)
デビュー当時の秘話:無口な少女の秘めた力
中山さんが芸能界入りしたのは1982年。当初はモデルとして活動していましたが、14歳、中学3年生の時に「毎度おさわがせします」でドラマデビューを果たします。当時の所属事務所は、彼女のために設立された「ビッグアップル」。岡嶋氏はその創業メンバーの1人でした。
岡嶋氏は、中山さんとの最初の出会いを喫茶店で迎えたと語ります。社長の山中氏と中山さん、そして岡嶋氏の3人だけでの meeting。中山さんは無口な少女でしたが、岡嶋氏は彼女の中に他の子とは違う、特別な何かを感じ取っていました。
それは、彼女の「目」でした。野性的で切れ長の瞳。当時のアイドルは「可愛い」ルックスが主流でしたが、中山さんは猫目でシャープな、野性味あふれる印象を与えました。それは、まさに新時代の「可愛さ」の象徴でした。この独特の魅力が、彼女の人気を爆発させた要因の一つと言えるでしょう。
こうして、わずか3人でスタートした事務所。その最初の大きな仕事が「毎度おさわがせします」への出演でした。
大抜擢!ドラマデビュー作で主役に近い大役
「毎度おさわがせします」への出演は、山中氏がオーディションに連れて行き、勝ち取ったものでした。実は、中山さんが演じた「のどか」役は、内定していた別の女の子がいたそうです。しかし、プロデューサーや脚本家は、その女の子にどこか腑に落ちないものを感じていました。そんな中、オーディション会場に現れた中山さん。彼女を見た瞬間、「この子だ!」と即決したそうです。
新人でありながら、ドラマデビュー作で主役に近い大役を任された中山さん。これは異例とも言える大抜擢でした。当時の芸能界では、新人俳優はエキストラ同然の小さな役からスタートするのが一般的でした。しかし、中山さんは最初からその才能を高く評価され、重要な役どころを任されたのです。
ドラマは、不良少年少女を抱える3つの家族の物語。中山さんの父親役は板東英二さん、母親役は夏木マリさんが務めました。
社会現象を巻き起こした「毎度おさわがせします」
当時、反抗的な子どもたちの存在は社会問題化しており、ドラマで描かれたような家庭環境は決して珍しくありませんでした。そのため、若い世代を中心に共感を得やすく、大きな反響を呼びました。また、中山さんの鋭い目つきとツッパリ風のルックスは、まさに「のどか」役にぴったりでした。
「毎度おさわがせします」は火曜日の21時から放送。その前の20時台には、当時すでにトップアイドルだった小泉今日子さん主演のドラマ「少女に何が起こったか」が放送されていました。この人気ドラマ効果もあり、「毎度おさわがせします」も多くの視聴者を引きつけました。
しかし、同じ時間帯にはフジテレビで「なるほど!ザ・ワールド」が放送されていました。当時、この番組は驚異的な人気を誇り、他局のどんな番組をもってしても視聴率で勝てないと言われていました。しかし、「毎度おさわがせします」は回を追うごとに視聴率を伸ばし、ついに「なるほど!ザ・ワールド」を逆転する快挙を成し遂げたのです。
当時を知るテレビ評論家、山田一郎氏(仮名)は、「中山美穂さんの存在は、まさに彗星の如く現れた新星でした。彼女の持つ独特の魅力と演技力は、多くの視聴者を魅了し、テレビ業界に新たな風を吹き込みました」と語っています。
スターへの階段を駆け上がった中山美穂
「毎度おさわがせします」の大ヒットをきっかけに、中山さんはスターへの階段を駆け上がっていきます。彼女の存在は、当時の若者文化に大きな影響を与え、まさに時代のアイコンとなりました。
このドラマは、中山美穂という才能を開花させるきっかけとなり、彼女の輝かしいキャリアの礎を築きました。そして、今もなお多くの人々の心に深く刻まれています。