【戦後衝撃事件】生徒に慕われた26歳女教師、警察官の夫をバラバラ殺人…その裏に隠された悲劇とは?

1952年、東京足立区を震撼させた警察官バラバラ殺人事件。犯人は、小学校で教鞭をとり、生徒から慕われていた26歳の女性教師でした。真面目な勤務ぶりで知られていた彼女が、なぜこのような凶行に及んだのか?今回は、事件の背景にあった、被害者である夫の常軌を逸した行動、そして追い詰められていく女教師の苦悩に迫ります。

酒と暴力に溺れた警察官の夫

事件の被害者である夫は警察官でありながら、勤務態度はずさん極まりないものでした。勤務後すぐに酒に溺れ、泥酔して暴れるのが日常茶飯事。同棲前に酒場で客と喧嘩になり、拳銃を奪われるという失態まで犯していたといいます。幸い拳銃は発見されましたが、減給処分を受けていたとのこと。事件当時も解雇寸前の状態だったという証言が残っています。

警察官のイメージ警察官のイメージ

給料の半分しか家に入れず、残りは女遊びと借金に消えていく日々。その額は7万円(現在の貨幣価値で約280万円)。結婚の約束も反故にされ、女性教師は精神的に追い詰められていきました。当時の状況を知る関係者(仮名:山田一郎)は、「彼女は真面目で責任感の強い女性でした。そんな彼女が追い詰められるほど、夫の行動は目に余るものだったのでしょう」と語っています。

別れ話と殺害予告…逃れられない恐怖

生活の苦しさ、そして夫の暴力に耐えかねた女性教師は、ついに別れ話を切り出します。しかし、夫は「そんなことを言うなら殺してやる」と拳銃を突きつけ、「逃げても絶対見つけ出す」と脅迫。警察官という立場を失う恐怖から、彼女を支配下に置こうとしたのです。

女性教師は、警察を解雇された夫が本当に自分の命を奪いに来るかもしれないという恐怖に怯え、別れ話を撤回せざるを得ませんでした。同居していた母と弟を守るためにも、この悪夢のような生活から逃れる術はなかったのです。

泥酔状態で帰宅…そして事件発生

1952年5月7日、運命の日は訪れました。夫は21時頃、泥酔状態で帰宅。しかもその日は22時から夜勤が入っていたのです。制服に着替えることもままならない夫に、女性教師は思わず「どこでそんなに飲んできたの!」と叱責。すると夫は激昂し、「どこで飲んでこようが俺の勝手だ!生意気言うな!」と怒鳴りつけ、彼女に暴力を振るいました。

この瞬間、長年抑え込んできた怒り、恐怖、絶望が頂点に達し、彼女は取り返しのつかない行動に出てしまうのです。事件の詳細については、次回の記事で詳しく解説します。

警察官バラバラ殺人事件…女教師の運命は?

生徒から慕われ、真面目な教師として生きてきた女性が、なぜこのような悲劇的な事件を起こしてしまったのか。次回の記事では、事件の全貌と裁判の行方、そしてこの事件が社会に投げかけた問いかけについて深く掘り下げていきます。