「赤毛」「銀毛」と呼ばれ恐れられた巨熊、熊撃ち名人と刺し違えて命を奪った手負い熊、アイヌ伝説の老猟師と心通わせた「金毛」、夜な夜な馬の亡き骸を喰いにくる大きな牡熊―――。
戦前の日高山脈で実際にあった人間と熊の命がけの闘いを描いた傑作ノンフィクション『羆吼ゆる山』。
長きにわたって絶版、入手困難な状況が続いていたがこのほど復刊された。
本稿では同書から一部を抜粋してお届けします。
■きのこの狩り場
「ここを登れば、すぐ上に椎茸の出ていた木があるんだ。この辺りでは、ここよりほかに登れるところはないからな」
そう言って、六馬(編集部注:1歳上の友人)が先に立ってその絶壁を登り始めた。やや離れて、三郎(編集部注:同じ歳の友人)と私が続いた。岩の突起を探り、オーバーハング気味に上部が迫り出した壁のテラスを横に渡り、さらに岩の割れ目を伝って上へ這い上がっていった。
こうして20メートルあまりの岩壁を登りきった3人は、小笹の生えた広い緩斜面の外れに出た。そこから見上げるなだらかな斜面は、山の上へ延びて雑木の大木が立ち並ぶ山襞の岐れに至るが、その半ばからは黒々としたトドマツの林に被われており、山嶺の雪の白さと対照をなしてそれが鮮やかに浮き上がって見える。一帯は、人の手の入らない、不伐とも言うべき原生林であった。
先を歩いていた六馬が、急に振り返って言った。
「ほら、ここへ来てみれ。これが去年取り残していった椎茸だよ」
六馬が指さす方を見ると、誰かが盗伐でもしたのか、ナラの木の太い部分だけを切りとった寝木があった。木の肌一面に出た椎茸が腐らぬままに凍りついていて、指で叩くとカンカンと音がした。
「この椎茸を見つけて採り始めたとき、ほら、あそこに大きなナラの根剝(むく)れがあるだろう、あの木の根元のところで、でっかい熊が穴を掘っていたんだ。びっくりしたな。ここに伏せていて、熊が穴に入ったのを見て、この茸を採らずに逃げて帰ったんだ」