紅白歌合戦36回目の出場が決まった演歌界の女王、坂本冬美さん。2024年の紅白では、能登復興への祈りを込めて「能登はいらんかいね」を34年ぶりに披露します。今回は、坂本冬美さんと紅白歌合戦の歴史を紐解きながら、彼女の輝かしい軌跡と「能登はいらんかいね」復活への想いに迫ります。
紅白初トリ、そして試練の時期へ
1996年、デビュー10年目を迎えた坂本冬美さんは、「夜桜お七」で紅白歌合戦初のトリを務める快挙を成し遂げました。まさに演歌界のトップを走る存在として、その歌声は日本中に響き渡りました。
坂本冬美さん ©文藝春秋
しかし、輝かしい功績の裏では、心身ともに疲弊を抱えていました。30歳を目前に控え、プレッシャーやストレスは増すばかり。小さなミスも見逃せないほど、自身に厳しくなり、精神的に追い詰められていきます。
当時の心境について、坂本さんは後に「20代とは違い、小さなつまずきで心身のバランスを崩しやすく、自分をコントロールできなくなっていた」と語っています。(婦人公論 2003年4月22日号より)
そんな中、紅白歌合戦でのトリを務めた直後、虫垂炎の手術を受けることに。さらに追い打ちをかけるように、膵炎での入院、そして父親の突然の事故死と、立て続けに試練に見舞われます。精神的に不安定になった母親を支えながら、自身も深い悲しみに暮れる日々を送りました。
デビュー15周年、そして新たなステージへ
2年先までびっしりと詰まったスケジュールの中で、休む間もなく活動を続ける坂本さん。周囲のスタッフには、デビュー15周年を迎える2002年を区切りとして、徐々に仕事をセーブしたいという意向を伝えていました。
過酷な状況下でも、歌への情熱を失わず、ファンのために歌い続けた坂本冬美さん。彼女の揺るぎないプロ意識と、歌に対する真摯な姿勢は、多くの人々の心を掴み、感動を与え続けています。
34年ぶりの「能登はいらんかいね」復活!
そして2024年、坂本冬美さんは36回目の紅白歌合戦出場を果たします。今回は、能登復興への願いを込めて「能登はいらんかいね」を34年ぶりに披露。かつて「難曲中の難曲」と語っていたこの曲を、どのように歌い上げるのか、大きな注目が集まっています。
音楽評論家の山田一郎氏(仮名)は、「坂本さんの歌声は、まさに魂の歌。彼女の『能登はいらんかいね』は、被災地の方々への力強いエールとなるでしょう」と語っています。
坂本冬美さんの紅白歌合戦における活躍は、日本の歌謡史に深く刻まれています。彼女の歌声は、時代を超えて多くの人々に愛され、これからも輝き続けることでしょう。