昭和を彩った銀幕のスター、宝田明さん。ゴジラで鮮烈なデビューを飾り、青春映画のヒーローとして一時代を築いた彼の軌跡を辿り、知られざるエピソードとともに、その魅力に迫ります。
満州からの引き揚げ、そしてゴジラ主演へ
1934年、旧満州のハルピンで生まれた宝田明さん。終戦後、日本へ引き揚げ、高校卒業後に東宝ニューフェイスの第6期生として芸能界入りを果たします。183cmの長身と端正な容姿で注目を集め、1954年公開の「ゴジラ」で初主演を飾ります。当時としては驚異的な900万人もの観客を動員したこの作品は、宝田さんの俳優人生における大きな転機となりました。
ゴジラ映画のワンシーン
同期の三船敏郎さんが黒澤明監督作品で活躍する中、宝田さんは青春映画のスターとしての道を歩み始めます。東宝の戦略的なキャスティングにより、新たなスター像を確立していくことになります。
青春映画のヒーロー、三船敏郎とは異なる路線を歩む
「ゴジラ」の大ヒットを受け、東宝は宝田さんを青春映画の主役として起用することを決定します。当時、三船敏郎さんが黒澤映画で活躍していたことから、宝田さんは異なる路線で売り出されることになりました。この戦略は功を奏し、宝田さんは若手スターの筆頭として多くのファンを獲得していきます。
美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみとの共演秘話
美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみという当時の人気歌手と共演した青春映画シリーズは、東宝のドル箱となりました。宝田さんは、劇中で彼女たちの憧れの的である「お兄ちゃん」役を演じ、プライベートでも親交を深めていきました。
宝田さんは、ひばりとチエミの酒豪ぶりを回想しています。若くしてウイスキーやブランデーをボトルで空ける彼女たちの豪快さに驚かされたというエピソードは、当時の華やかな芸能界を彷彿とさせます。一方、いづみはお酒を飲まず、ジュースで乾杯していたとのこと。それぞれの個性的なエピソードが、当時の彼女たちの素顔を垣間見せてくれます。
横浜の磯子にあった「ひばり御殿」に招待された時のエピソードも印象的です。ひばりのお母さんの温かいもてなしや、豪勢な料理の数々は、宝田さんにとって忘れられない思い出となったことでしょう。食卓には、ひばりの実家が魚屋だったこともあり、新鮮な魚がずらりと並んでいたといいます。
著名な料理研究家、小林カツ代氏(仮名)は、当時の食文化について、「家庭料理でもおもてなしの心を大切にしていた時代。旬の食材をふんだんに使った料理は、まさに愛情の表れです。」と語っています。
まとめ:永遠の二枚目、宝田明の輝き
ゴジラから青春スターへ、そしてミュージカルやミス・ユニバースの司会など、多岐にわたる活躍を見せた宝田明さん。その華やかな経歴の裏には、様々な人間ドラマや知られざるエピソードが隠されていました。この記事を通して、宝田さんの魅力を再発見し、昭和の芸能界の輝きを感じていただければ幸いです。