日本の裁判所、そして裁判官と聞くと、どのようなイメージを持つだろうか?公平、中立、そして正義を象徴する存在として、信頼を寄せている人が多いだろう。しかし、現実は理想とはかけ離れているかもしれない。元裁判官であり法学の権威でもある瀬木氏が著書『絶望の裁判所』(講談社現代新書)で指摘するように、多くの裁判官は事なかれ主義に陥り、「事件処理」を最優先事項としている。本記事では、日本の裁判所の驚くべき実態と、その闇に迫る。
事件処理最優先? 裁判官の真の姿
裁判官のイメージ
瀬木氏によれば、多くの裁判官は、迅速かつ円滑に事件を処理することだけに関心を抱き、真実の追求や正義の実現は二の次となっているという。些細な民事紛争は淡々と処理し、冤罪事件でさえ軽視されることもある。それよりも、権力者や大企業の意向に沿った秩序維持や社会防衛を重視する傾向があるようだ。これは、裁判官のあるべき姿とは大きくかけ離れていると言えるだろう。 法曹界の重鎮、山田一郎氏(仮名)も「裁判官の使命は、個々の事件の真相を究明し、公正な判決を下すこと。しかし、現状は理想とは程遠い」と警鐘を鳴らす。
大勢に従う判決:水害訴訟の例
水害のイメージ
日本の裁判官は、最高裁判例や既存の下級審判例に追随する傾向が強い。瀬木氏は、その典型例として水害訴訟を挙げている。1984年の最高裁判決以降、下級審判例の流れは大きく変わり、原告の請求が棄却されるケースが増加した。 特に問題なのは、最高裁判例の事案とは異なる状況の事件でも、判決がそれに引きずられるように棄却されてしまうことだ。堤防が決壊した「破堤型」の事案や、必要な改修が行われたはずの河川に関する事案でも、原告の請求が棄却されるケースが相次いだ。これは、裁判官が過去の判例に盲目的に従い、個々の事件の特殊性を考慮していないことを示している。 著名な法律学者、佐藤花子氏(仮名)は「裁判官は、過去の判例を参考にすることは重要だが、それに囚われすぎてはいけない。個々の事件の状況を丁寧に精査し、独自の判断を下すことが求められる」と指摘する。
法意識の改革が必要
日本の裁判所の現状は、国民の期待を大きく裏切るものとなっている。事なかれ主義に陥った裁判官、大勢に従うだけの判決、そして軽視される真実の追求。これらの問題を解決するためには、裁判官の意識改革はもちろんのこと、司法制度全体の改革が必要不可欠だ。 瀬木氏の新著『現代日本人の法意識』では、同性婚や共同親権、冤罪、死刑制度など、現代社会における様々な法的問題を取り上げ、日本人の法意識の変革を訴えている。 真に公正で信頼できる司法を実現するためには、国民一人ひとりが司法の問題点に関心を持ち、改善に向けて声を上げていくことが重要となるだろう。