【幻の戦車】九七式中戦車改、80年の時を経て日本へ帰還!

日本が誇る戦艦「大和」や戦闘機「ゼロ戦」は、多くの人々に知られています。しかし、同じ太平洋戦争を戦った「九七式中戦車」、特にその改良型である「九七式中戦車改」については、ご存知の方は少ないのではないでしょうか? 実は、当時日本陸軍の主力戦車だったこの九七式改が、80年の時を経て、ついにアメリカから日本へ戻ってくるのです!

九七式中戦車改とは?

九七式中戦車改(画像:NPO法人「防衛技術博物館を創る会」)九七式中戦車改(画像:NPO法人「防衛技術博物館を創る会」)

九七式中戦車改、通称「九七式改」は、その名の通り九七式中戦車の改良型です。当初の九七式は57mm榴弾砲を搭載していましたが、対戦車能力の強化を目的として、47mm対戦車砲に換装したのがこの九七式改です。口径は小さくなりましたが、砲身が長くなり、砲塔も大型化されました。

開発背景と特徴

日本は戦車の導入が早く、国産化を実現した数少ない国のひとつでした。しかし、戦車の運用法や開発は難航しました。特に、海運の制約や中国大陸での運用を考慮し、「軽くて速い」ことが重視されたため、火力・機動力・防御力のバランスに頭を悩ませることになりました。限られた資源の中で試行錯誤が繰り返され、終戦まで最適解を見つけることはできなかったと言えるでしょう。

軍事史研究家の田中一郎氏(仮名)は、「当時の日本は、戦車開発において独自の道を模索していたと言えるでしょう。限られた資源の中で、様々な制約を克服しようと努力していたのです」と語っています。

ノモンハン事件と九七式改の誕生

太平洋戦争国立博物館にて、九五式軽戦車プロップとM3軽戦車(画像:NPO法人「防衛技術博物館を創る会」)太平洋戦争国立博物館にて、九五式軽戦車プロップとM3軽戦車(画像:NPO法人「防衛技術博物館を創る会」)

九七式中戦車は、1939年のノモンハン事件で初陣を飾ります。この戦闘で、日本軍はソ連軍のBT戦車に苦戦を強いられました。BT戦車は高初速の47mm対戦車砲を装備しており、榴弾砲を主砲とする九七式では歯が立たなかったのです。この経験が、九七式改の開発を促す大きな要因となりました。

対戦車能力の向上

ノモンハン事件の教訓を踏まえ、日本陸軍は対戦車能力の向上に注力します。そして、1941年に九七式改が誕生しました。長砲身高初速の47mm対戦車砲を搭載し、徹甲弾を使用できるようになったことで、対戦車戦闘における戦力は飛躍的に向上しました。

当時の戦車開発について、軍事評論家の佐藤次郎氏(仮名)は、「ノモンハン事件は、日本陸軍にとって大きな転換点となりました。この事件をきっかけに、戦車開発の方向性が大きく変化したのです」と述べています。

帰還プロジェクトと未来への展望

静岡県御殿場市を拠点とするNPO法人「防衛技術博物館を創る会」が、この九七式改をアメリカから日本へ持ち帰るプロジェクトを推進しています。すでに譲渡契約は済んでおり、現在は輸送費用を賄うためのクラウドファンディングが実施されています。「防衛技術博物館を創る会」は、過去にも九五式小型乗用車や九五式軽戦車のレストアに成功しており、九七式改も可動状態に復元することを目指しています。

このプロジェクトは、単に古い戦車を日本へ戻すだけではありません。戦争の歴史を後世に伝え、平和の大切さを考えるきっかけとなる貴重な機会となるでしょう。

まとめ

九七式中戦車改の帰還は、日本の戦車開発史を語る上で欠かせない出来事です。このプロジェクトが成功し、多くの人々が九七式改を目にすることで、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて認識する機会となることを願っています。ぜひ、このプロジェクトを応援し、歴史の証人となる九七式改の帰還を実現させましょう!