旧優生保護法のもと、若くして子宮を摘出された女性の苦悩と、新たな補償法施行への想いに迫ります。遺伝性難病を持つ西沢昭恵さん(仮名、51歳)は、21歳の時に予期せぬ妊娠を経験。しかし、医師から「子どもを産んではいけない」と告げられ、子宮摘出手術を受けさせられました。当時の状況、そして今、彼女は何を思うのでしょうか。
21歳、突然の宣告と手術
1995年、短大卒業後、家業を手伝っていた西沢さんは、交際相手との間に妊娠が発覚。産婦人科を受診したところ、遺伝性難病である「神経線維腫症1型」(レックリングハウゼン病)を理由に出産を禁じられ、子宮摘出手術を受けるよう指示されました。
alt="西沢昭恵さん(仮名)が手に持つ強制不妊手術の被害者に対する補償金の案内リーフレット"
西沢さんは当時を振り返り、「医師の言葉があまりにも当然のようだったので、『はい』と言うしかありませんでした。『ノー』と言える雰囲気ではなかった」と語ります。インターネットも普及しておらず、情報を自ら得ることも困難な時代でした。紹介先の大学病院で子宮摘出手術を受け、数日間の入院生活を送りましたが、交際相手や両親には妊娠・手術の事実を隠していました。
「子どもを産んじゃいけない」医師の言葉の重み
西沢さんが患うレックリングハウゼン病は、国の指定難病であり、国内に約4万人の患者がいると推定されています。皮膚のしみや神経の線維腫が主な症状で、約半数に学習障害が見られると言われています。西沢さんもADHDなどの症状を抱えていましたが、日常生活は自立して送っていました。
当時、西沢さんに告げられた「子どもを産んではいけない」という言葉は、どれほどの重みを持っていたのでしょうか。医師の言葉の裏には、旧優生保護法の影が色濃く落ちていました。この法律は、障害者や遺伝性疾患を持つ人々に強制的に不妊手術を施すことを認めており、西沢さんのケースもその影響を受けていたと考えられます。
alt="旧優生保護法に関する訴訟の口頭弁論へ向かう原告側弁護団と支援者ら"
補償法施行、そして未来へ
1996年、旧優生保護法の強制不妊手術に関する規定は廃止されました。西沢さんの手術は、そのわずか1年前のことでした。「あと1年違っていたら…」という思いは、今も彼女の胸を締めつけます。2025年1月17日、不妊手術を受けた人々への補償金支払いを定めた法律が施行されました。この法律は、過去の過ちを認め、被害者への救済を目指すものです。
西沢さんの願い、そして私たちにできること
西沢さんは、自身の経験を通して、同じ苦しみを抱える人々や社会全体に伝えたいことがあると言います。当時の社会状況、医師の言動、そして手術後の心境…彼女の言葉は、私たちに多くのことを問いかけています。
alt="西沢昭恵さん(仮名)が語る子宮摘出手術の経験"
旧優生保護法の問題は、私たちの歴史における大きな傷跡です。この問題を風化させず、未来へと語り継いでいくことが、私たちにできることではないでしょうか。西沢さんのような被害者が二度と生まれない社会を築くために、私たちは過去の過ちから学び、人権尊重の精神を大切にしていかなければなりません。