伊勢神宮、日本の心のふるさと。皇室の祖神である天照大神が祀られているとされ、毎年多くの参拝者が訪れます。しかし、その歴史には多くの謎が隠されています。7世紀後半に現在の形に整えられてから明治維新まで、歴代天皇は(持統天皇を除き)伊勢神宮を参拝していなかったという事実をご存知でしょうか?歴史作家、関裕二氏の著書『スサノヲの正体』(新潮新書)では、伊勢神宮にまつわる謎、そしてアマテラスとスサノヲをめぐる数々の疑問に鋭く切り込んでいます。今回は、同書を参考に、伊勢神宮に秘められた意外な真実を探ってみましょう。
持統天皇の伊勢行幸と三輪氏の抵抗
692年、持統天皇は伊勢神宮への行幸を決定します。しかし、この決定に強く反対したのが中納言の三輪朝臣高市麻呂でした。彼は農事への影響を理由に、自らの官服を脱ぎ捨ててまで天皇を諫めます。しかし、持統天皇は高市麻呂の訴えを聞き入れず、行幸を強行しました。なぜ、高市麻呂はそこまでして行幸を止めようとしたのでしょうか?
持統天皇の伊勢行幸イメージ
伊勢神宮の真の祭神は?
『日本書紀』によれば、伊勢神宮の起源は垂仁天皇の時代まで遡るとされています。しかし、考古学的な証拠は乏しく、持統天皇の時代に伊勢神宮が整備されたという可能性も考えられます。三輪氏は、祟り神として知られる大物主神を祀る大神神社の氏族です。高市麻呂の抵抗は、伊勢神宮の祭神が実は大物主神であり、持統天皇による伊勢神宮への遷座に反発したものだったのかもしれません。
崇神天皇と二柱の神の謎
崇神天皇は、大物主神とアマテラス、二柱の神に恐れを抱いていたと伝えられています。大物主神は日本海の神であり、崇神天皇の母系が物部氏であることから、崇神天皇が大物主神の祟りを恐れた理由は理解できます。しかし、アマテラスは天皇家の祖神とされています。なぜ、崇神天皇は自らの祖神であるアマテラスを恐れたのでしょうか?
天皇陛下、伊勢神宮にて退位のご報告
伊勢と三輪、一体分身?
伊勢と三輪には、「一体分身」という伝承が存在します。この伝承と、ヤマト政権が恐れた神の存在を考え合わせると、崇神天皇が恐れたのは『日本書紀』に記されたアマテラスではなく、日本海(『日本書紀』神話の出雲)の大物主神だった可能性が浮上します。そして、ヤマト政権が祀っていた大物主神が、7世紀に持統天皇によって伊勢に遷座されたのではないでしょうか。だからこそ、大物主神の末裔である三輪朝臣高市麻呂は、必死の抵抗を試みたと考えられます。
関氏の説は、従来の伊勢神宮観に一石を投じるものです。歴史の真実を解き明かすためには、様々な視点から検証していくことが重要です。 伊勢神宮の謎、そして古代日本の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。