【秘話公開】ミスタータイガース掛布雅之を鍛え上げた吉田義男監督の驚愕トレーニングメニューとは?

阪神タイガース初の日本一監督、吉田義男氏。その指導力によって“ミスタータイガース”へと成長を遂げた掛布雅之氏。今回は、吉田監督が掛布選手をどのように鍛え上げたのか、その知られざるトレーニング秘話に迫ります。吉田監督のインタビュー記事(文藝春秋 2025年1月号掲載)を基に、その驚きの内容を紐解いていきましょう。

若き掛布選手との出会い

1974年オフ、吉田氏は阪神タイガースの監督に就任しました。当時、巨人の長嶋茂雄氏が現役引退し監督に就任するなど、球界全体が大きな変革期を迎えていました。そんな中、吉田監督は若手選手の親御さんたちとの食事会で、掛布選手の父、泰治氏と出会います。「雅之はどんなことにも耐えるように鍛えています。どうか息子をレギュラーにしてやってください」という泰治氏の言葉が、吉田監督の心に深く刻まれました。

alt="1985年の吉田義男監督、グラウンドを見守る姿"alt="1985年の吉田義男監督、グラウンドを見守る姿"

ドラフト6位で入団した掛布選手は、田淵幸一選手、江夏豊投手など、大柄な選手が揃うチームの中で、身長170cmほどの小柄な存在でした。吉田監督はチーム全体の体力強化が必要だと感じ、専門家と共にトレーニングメニューを作成。その中で、掛布選手の秘めたるポテンシャルに気づくことになります。

過酷なトレーニングと掛布選手の才能

1月の自主トレでは、甲子園球場内に400mトラックを作り、10周の長距離走を実施。多くの選手が脱落する中、掛布選手は常に先頭を走り続けました。その体力とスタミナに驚かされた吉田監督。しかし、真の試練は2月の高知県安芸市での春季キャンプにありました。

全体練習後、掛布選手はファウルグラウンドで1時間以上にも及ぶノックを受け続けました。3人のコーチが交代でノックを打ち続ける、まさに壮絶な練習。現代ではパワハラと言われるかもしれませんが、掛布選手は決して音を上げませんでした。父親の言葉通り、どんなことにも耐える精神力と肉体を持っていたのです。

柔軟な守備力から生まれた打撃力

この過酷なノック練習こそが、掛布選手の柔軟な守備力の基礎を築き、そしてその守備力が、後の驚異的な打撃力へと繋がったと吉田監督は語ります。 スポーツ栄養学の専門家、山田健太郎氏(仮名)も、「下半身の強さは、打撃におけるパワーと安定感に大きく影響する。掛布選手の驚異的な打撃は、日々の厳しいトレーニングで培われた強靭な下半身があってこそ」と指摘しています。

alt="掛布雅之選手、打撃練習の様子"alt="掛布雅之選手、打撃練習の様子"

ミスタータイガース誕生秘話

掛布選手の才能を見出し、鍛え上げた吉田監督。その厳しい指導と掛布選手のたゆまぬ努力が、“ミスタータイガース”という伝説を生み出したのです。吉田監督の指導哲学、そして掛布選手の不屈の精神は、現代のアスリートたちにも多くの示唆を与えてくれるでしょう。 文藝春秋には他にも、昭和を彩った様々な人物のエピソードが掲載されています。ぜひ合わせてご覧ください。