世の中には2通りの人しかいない。「子のある人」と「子のない人」。が、子がある理由も、ない理由もさまざまなのにもかかわらず、それについて互いで感想でも疑問でも意見でもざっくばらんに語らうことはない。いや、しないほうがいいのかもしれない。
どんな生き方を選ぼうと、どこにたどり着いていようと、それぞれの選択やあり方は尊重されていいはず。本連載では阿古真理氏が多様な角度から「産む・産まない」「持つ・持たない」論に迫る。第2回は「ザ・ノンフィクション」の婚活回で一躍有名になった内田克美さん。
■子どもを持つ将来を想像していた
東京都区内で工務店の営業部課長を務める内田克美さんは、現在56歳。昨年9月に47歳の女性と再婚し幸せな生活を送るが、そこへ至るまで苦しい道のりを歩んできた。大きな悩みの要因が、子どもができなかったことである。
内田さんは長年、子どもが欲しいと願ってきた。
「魚釣りが趣味なので、どうやったら魚が釣れるのか、命をいただくことにどういう意味があるのか教えることができる。自分と母親の遺伝子を持った子どもは、どんな顔でどんな性格なのか出会うのが楽しみ」
30代の頃、所属していた青年会議所の仲間が「今日、おむつを替えてきたんだよ。うんこが出ちゃって」「離乳食をあげたけど、大人とは食事の時間が違うんだよね」などと話すのを聞いて、自分は何ができるのか想像を膨らませたこともあった。
内田さんは工務店を営む両親と祖母のもと、4人きょうだいの3人目として育った。主に家事を担う祖母から料理を教わったこともあり、妻だけに家事を負わせるのはおかしい、と考えている。
そんな内田さんが結婚をしたのは34歳で、前妻が31歳。だが、2人の間には子どもができず、心もすれ違うようになっていく。
■切実に「子どもが欲しい」と思った理由
内田さんが切実に子どもを求めてきたのは若い頃、会社の専務が亡くなって火葬場に行った折、たった1人で骨を拾う人を見て衝撃を受けたことも大きい。以来、内田さんは「自分が死んだときに、誰が骨を拾ってくれるかわからないというのは嫌だ」と思っていた。