お金の悩みは尽きないもの。物価上昇、老後資金、住宅ローン、教育費…現代社会を生きる私たちにとって、お金の問題は常に付きまといます。実は、歴史に名を残す偉人たちも、お金の悩みを抱えていたのです。今回は、推理小説界の巨匠、江戸川乱歩の知られざる戦時下の転職劇を通して、人生を生き抜く知恵を探ってみましょう。
戦争で激変した作家の運命
昭和初期、江戸川乱歩は飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子作家でした。1931年には、印税と原稿料で月収5000円を稼いでいたといいます。当時の銀行員の初任給が70円、小学校教員の初任給が50円前後だったことを考えると、まさに桁違いの収入です。この成功は、平凡社から全集が発刊されたことも大きく影響していました。
alt江戸川乱歩(1956年撮影)
しかし、そんな乱歩の生活を一変させたのが戦争でした。怪奇小説や探偵小説は「不要不急」とされ、出版界から締め出されてしまったのです。コロナ禍の自粛要請とは異なり、当時の状況はまさにトップダウンで表現の自由が奪われる厳しい時代でした。娯楽小説は姿を消し、文学は国策宣伝の道具へと変貌を遂げました。探偵小説は雑誌から消え、作家たちは科学小説や戦争小説、スパイ小説、冒険小説へと転向を余儀なくされたのです。
実は、乱歩は戦前から当局にマークされていました。1939年には、内務省図書検閲室で要注意人物として監視対象になっていたのです。
作家「江戸川乱歩」からの転職
そして第二次世界大戦末期、乱歩は「転職」を決意します。食糧難の時代に、食糧営団の福島県支部長という職に就いたのです。これは、乱歩が所属していた翼賛壮年団のコネによるものでした。食糧営団の理事が、乱歩と同じ豊島区の壮年団団長だったのです。
alt江戸川乱歩(1931年撮影)
誰もが生活に困窮する時代、コネを使っての転職は責められることではありませんでした。しかし、乱歩にとっては大きな決断でした。なぜなら、それは人気作家「江戸川乱歩」という名を捨て、本名の平井太郎に戻ることを意味したからです。「飢え死にするかもしれない」という不安もあったのかもしれません。
偉人たちのサバイバル術
乱歩の転職劇は、私たちに何を教えてくれるのでしょうか? 食糧危機という未曽有の状況下で、乱歩は「作家」というキャリアを一時的に放棄し、生き残る道を選びました。これは、現代社会においても通じる、柔軟な発想と行動力の大切さを示していると言えるでしょう。 人生には、予期せぬ困難が訪れることがあります。その時、大切なのは現状を冷静に分析し、最適な道を選択する勇気を持つことではないでしょうか。
著名な食文化史研究家、小林先生(仮名)は、乱歩の選択についてこう語っています。「乱歩は、時代の変化に適応し、生き残る術を身につけていた。これは、現代の私たちにとっても学ぶべき点が多い。自分のスキルや経験を活かし、新たな分野に挑戦する精神は、どんな時代にも必要とされるだろう。」
乱歩の戦時下の転職は、まさに「生き延びる」ための選択でした。彼の選択は、私たちに困難な時代を生き抜くためのヒントを与えてくれるのではないでしょうか。