昭和天皇の最晩年は、闘病生活と国民への深い愛情で彩られていました。この記事では、手術後の回復、公務再開、そして国民に語りかけた平和へのメッセージなど、昭和天皇の晩年の軌跡を辿ります。
手術からの回復と公務再開
昭和62年(1987年)9月、昭和天皇は開腹手術を受けられました。術後、驚異的な回復力を見せ、11月には公務に復帰。中曽根康弘前首相、竹下登首相と面会されました。
年末には沖縄への想いを詠んだ歌を発表。国民の平和への願いを常に胸に抱かれていました。
昭和天皇のお見舞いに向かう上皇后夫妻
新年を迎えた昭和63年、86歳とは思えないほど精力的に正月行事に臨まれました。「新年祝賀の儀」に出席し、一般参賀では国民に直接感謝の言葉を伝えられました。
3月には須崎御用邸へ、4月にはベネズエラ大統領との会見など、公務を着実にこなされていました。侍医長高木顕氏も「健康時の8〜9分までご回復」と判断するほどでした。
87歳の誕生日会見:国民への遺言
昭和63年4月、87歳の誕生日を迎えられた天皇陛下は、記者会見に臨まれました。健康状態について質問されると、「体調はよく回復したし、疲れもない」と力強く答えられました。
そして、話題は第二次世界大戦へと移りました。これは、天皇陛下にとって最後の会見になるかもしれないという緊張感の中、記者側も避けて通れない質問でした。
昭和天皇
両目を閉じ、陛下は「何といっても、大戦のことが一番いやな思い出であります」と語り始められました。この時、記者の斉藤勝久氏は、陛下の左頬に涙が伝うのを見ました。
「戦後、国民が相協力して平和のために努めてくれたことを、うれしく思っています。どうか今後とも、そのことを忘れずに、平和を守ってくれることを期待しています」
落ち着いた口調ながらも、国民への深い愛情と平和への切なる願いが込められた言葉でした。まるで国民への遺言のようにも聞こえました。当時の皇室担当記者であった斉藤氏は、この会見を「陛下の国民への遺言」と感じたそうです。
平和への祈り
昭和天皇の晩年は、病魔との闘いの中でも、国民の幸せと平和を願う強い意志に貫かれていました。国民への深い愛情と平和への祈りは、今も私たちの心に深く刻まれています。
料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「昭和天皇の時代を生きた方々の話を聞くたびに、平和の尊さを改めて感じます。食卓を囲む家族の笑顔を守るためにも、平和な世界を維持していくことが大切ですね」と語っています。