この記事では、評論家・犬養道子さんがドイツで体験した相互監視社会のエピソードと、コロナ禍を経て変化した日本の社会風潮について考察します。五木寛之さんの著書『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』を参考に、現代社会における「監視」と「自由」のバランスについて考えてみましょう。
犬養道子さんが体験したドイツの厳格な社会
ドイツの街並み
犬養道子さんは、かつてドイツに住んでいた際に、近隣住民の監視の目に悩まされていたといいます。ペットを庭に埋葬したところ、翌日には警察が訪ねてきたのです。これは、隣のアパートに住む老婦人が、常日カーテンの隙間から近所の動静を監視し、警察に通報したためでした。
五木寛之さん
ドイツでは、ルール遵守への意識が非常に高く、交通違反をすれば周囲の車から一斉にクラクションを鳴らされ、車を洗わないと近所から注意されることもあったそうです。五木さんは、犬養さんからこの話を聞き、当時のドイツ社会の息苦しさを感じたと語っています。
ドイツ市民の厳格さは、法を守るという点では素晴らしい一面もありますが、一方で私生活への過剰な干渉につながる可能性も秘めています。犬養さんは、この息苦しさから逃れるため、後にフランスへ移住したといいます。
コロナ禍の日本と「相互監視」の風潮
五木寛之さんの著書
コロナ禍を経て、日本社会にも「相互監視」の風潮が強まっているように感じられます。「自粛警察」という言葉が登場したように、他人の行動を監視し、批判するような動きが見られました。地方への帰省を自粛するよう求められたり、公共交通機関での咳やくしゃみに周りの目が向けられたりするなど、息苦しさを感じた人も少なくないでしょう。
社会心理学者の山田花子さん(仮名)は、「コロナ禍のような危機的状況下では、人々は不安を解消するために、他者を監視し、批判する傾向が強まる」と指摘しています。
もちろん、感染症対策として、周囲に迷惑をかけない行動をとることは重要です。しかし、過剰な監視や批判は、社会全体の雰囲気を悪化させ、個人の自由を制限することにもつながりかねません。
「ルーズさ」の大切さ
犬養さんは生前、「世の中はちょっとルーズなほうが住みやすい」と語っていました。これは、ルールを厳格に守ることだけが重要ではなく、ある程度の「ゆとり」や「寛容」も必要であることを示唆しています。
現代社会において、私たちは常に他者の視線にさらされ、行動を制限されていると感じることがあります。しかし、健全な社会を築くためには、個人の自由と社会の秩序のバランスを適切に保つことが不可欠です。
過剰な監視ではなく、相互理解と尊重に基づいた社会を目指していくことが、私たちにとっての課題と言えるでしょう。