拉致被害者・有本恵子さん父、有本明弘さん死去 96歳 最期まで再会願う

有本恵子さんをご存知でしょうか。1983年、留学先のロンドンから旅先のデンマークで消息を絶ち、北朝鮮による拉致被害者として認定された女性です。そして、その父である有本明弘さんが、96歳でこの世を去りました。長年にわたり、娘との再会を願い続け、拉致問題解決のために尽力してきた明弘さんの生涯と、残された家族の無念についてお伝えします。

帰らぬ娘を待ち続け…有本明弘さんの無念

神戸市長田区に住む有本明弘さんは、15日未明、老衰のため96歳で亡くなりました。葬儀は既に近親者で行われたとのことです。明弘さんは、三女である恵子さんの帰りを待ち続け、最期まで再会を願っていました。

有本明弘さん有本明弘さん

1983年、ロンドンに留学中だった恵子さんは、デンマークへの旅行後、家族との連絡が途絶えました。 8年後、札幌市出身の拉致被害者である石岡亨さんが日本の自宅に送った手紙で、恵子さんが北朝鮮にいることが明らかになりました。

明弘さんは妻の嘉代子さんと共に、外務省や警察に何度も足を運び、恵子さんの安否確認を求め続けました。そして2002年3月、政府は恵子さんを拉致被害者と認定しました。

同年9月、小泉純一郎首相(当時)が訪朝し、北朝鮮は拉致を認めました。しかし、恵子さんについては「ガス事故で死亡」と伝えられたものの、それを裏付ける証拠は一切提示されませんでした。

救う会と共に、そして妻の死…それでも諦めなかった明弘さん

明弘さんは嘉代子さんと共に、「救う会」の活動に参加し、署名活動や講演会などを通して、拉致問題解決を訴え続けました。「恵子は生きている。顔を見るまでは死ねない」という明弘さんの言葉は、多くの人々の心に深く刻まれました。

しかし、2020年2月、嘉代子さんは心不全のため94歳で亡くなりました。明弘さんは深い悲しみを乗り越え、一人でも恵子さんとの再会を信じ、活動を続けました。

拉致問題の経過拉致問題の経過

昨年12月、神戸市内で開催された拉致問題パネル展に訪れた明弘さんは、「ぎりぎりいっぱいまで生きてきた。年齢的にももう限界」と、弱々しい声で語っていました。

残された早紀江さんの想い、そして私たちのすべきこと

明弘さんの死去により、政府認定の拉致被害者(2002年に帰国した5人を除く)の親世代で生存しているのは、横田めぐみさんの母、早紀江さん(89)だけとなりました。

拉致問題の解決は、未だ道半ばです。私たちは、拉致被害者とその家族の苦しみを忘れず、一日も早い解決に向けて、何が出来るのかを考え、行動していく必要があります。 明弘さんの無念を晴らすためにも、風化させてはいけない問題です。

拉致問題解決への願いを繋ぐ

有本明弘さんの生涯は、愛する娘を取り戻したいという一心で貫かれました。その強い想いは、私たちに拉致問題の深刻さを改めて突きつけます。拉致問題の完全解決、そして全ての拉致被害者の帰国を願ってやみません。