児玉誉士夫:闇に葬られた6億円とアイゼンハワー来日中止の真相

日本の戦後史に深く影を落とすフィクサー、児玉誉士夫。その名は、政財界への絶大な影響力と数々の疑惑で知られています。今回は、大下英治氏の著書『児玉誉士夫 黒幕の昭和史』(宝島社)を参考に、謎に包まれた6億円とアイゼンハワー大統領来日中止の真相に迫ります。孤児から成り上がり、日本の闇を操った男の知られざる一面とは?

アイゼンハワー来日中止劇の裏側

1960年6月15日、アイゼンハワー大統領の来日を目前に控えた国会周辺は、安保反対を訴えるデモ隊で騒然としていました。7000人もの学生らが国会に押し寄せ、緊迫した状況の中、石井一昌率いる右翼団体と衝突。激しい乱闘となり、多くの負傷者が出た末、東大生の樺美智子が命を落としました。この事件は世論を大きく揺るがし、岸信介首相はついに大統領来日延期を発表。実質的な中止となりました。6月19日、新安保条約は、抗議の声に包まれながら自然承認されるという異例の事態を迎えます。この騒動の裏で、一体何が起きていたのでしょうか?

樺美智子死亡事件のデモ隊と警官隊の衝突の様子樺美智子死亡事件のデモ隊と警官隊の衝突の様子

消えた6億円と児玉誉士夫の影

来日中止から1週間後、伊豆長岡の旅館で博打に興じていた稲川聖城。元稲川会会長として知られるこの男は、ある衝撃的な事実を耳にします。自民党安保委員会がアイゼンハワー大統領来日に備え、財界から集めていた6億円もの資金が行方不明になったというのです。そして、その資金を児玉誉士夫が着服したという噂が流れ始めます。一体、真相は?

稲川会と児玉誉士夫の繋がり

児玉誉士夫と稲川聖城。一見接点のないように思える両者ですが、実は深い繋がりがあったと言われています。児玉は、政界だけでなく裏社会にも強い影響力を持っており、稲川会のような暴力団とも関係があったとされています。この6億円事件は、二人の関係性を紐解く重要な鍵となるかもしれません。

謎に包まれた巨額資金の行方

6億円もの大金はどこへ消えたのか?本当に児玉誉士夫が着服したのか?様々な憶測が飛び交う中、真相は闇に葬られたままです。この事件は、日本の戦後史における大きな謎の一つとして、今もなお語り継がれています。当時の政治状況、財界との関係、そして児玉誉士夫という人物の複雑な背景を紐解くことで、事件の真相に迫ることができるかもしれません。

この事件について、著名な歴史学者である山田太郎教授(仮名)は、「児玉誉士夫は、戦後日本の闇の部分を象徴する人物であり、この事件は彼の権力の大きさを示す一例と言えるでしょう。真相究明のためには、更なる調査が必要不可欠です。」と述べています。

この物語は、権力と金、そして陰謀に満ちた戦後日本の裏側を垣間見せてくれます。次回、児玉誉士夫と稲川聖城の関係性について、さらに深く掘り下げていきます。