元日本テレビアナウンサー町亞聖さん、ヤングケアラーとしての壮絶な過去を語る

フリーアナウンサーの町亞聖さんは、華やかなテレビの世界で活躍する一方で、「元ヤングケアラー」というもう一つの顔を持っています。18歳という若さで母の介護を担うことになった町さんの、波乱に満ちた半生と、ヤングケアラー問題への熱い思いに迫ります。

18歳で突然の母の病、そして始まった介護の日々

alt=町亞聖さんと母親のツーショット写真。母親はくも膜下出血の後遺症で車椅子に座っている。alt=町亞聖さんと母親のツーショット写真。母親はくも膜下出血の後遺症で車椅子に座っている。

18歳、まさに青春を謳歌する時期に、町さんの人生は大きく変わりました。母親がくも膜下出血で倒れ、重度の障害を負ってしまったのです。「逃げ出したかった」と当時を振り返る町さん。父親からは「お前がきょうから母親だ」と告げられ、高校3年生ながら、母の介護に加え、弟と妹の世話、家事全般を一手に引き受けることになりました。 進学も諦めざるを得ず、受験は全滅。それでも1年間の浪人生活を経て立教大学に入学、奨学金とアルバイトで学費を捻出しながら、勉学と介護、家事を両立させる日々を送りました。当時を振り返り、町さんは「道を踏み外してもおかしくなかった」と語ります。しかし、弟や妹に苦労を見せないため、懸命に前を向き続けたのです。

アナウンサーとして、そして介護者として

大学卒業後、日本テレビのアナウンサーとして活躍を始めた町さん。 介護経験から、障害者の抱える困難を深く理解し、その問題を世の中に発信したいという強い思いを抱いていました。しかし、当時の社会情勢は厳しく、会社からは「母のことを公表するな。売名行為と見られる」と反対されたといいます。 葛藤を抱えながらも、アナウンサーとしての職務と介護を両立させ、懸命に生きていた町さん。1998年には母が子宮頸がんを患い、在宅介護が始まりました。そして翌年、母は静かに息を引き取りました。最期に父の方を見て微笑んだ母の顔は、町さんの心に深く刻まれています。

ヤングケアラー問題解決への想い

alt=講演会で語る町亞聖さん。真剣な表情でヤングケアラー問題について訴えている。alt=講演会で語る町亞聖さん。真剣な表情でヤングケアラー問題について訴えている。

現在、町さんは「元ヤングケアラー」として、自らの経験を基に講演活動などを通してヤングケアラー問題の解決に尽力しています。「子供が何に悩んでいるのかを周囲の大人が理解し、必要な支援につなげることが大切」と訴える町さん。 NPO法人「キーアセット」代表理事の渡邊一史さんも、「ヤングケアラー問題は社会全体で解決していくべき課題」と指摘しています。早期発見・早期支援の体制構築、そして親世代への支援の必要性を強調しています。町さんの活動は、多くのヤングケアラーに希望の光を灯すとともに、社会全体に問題提起を続けています。

未来への希望を繋ぐ

町さんの壮絶な経験と、ヤングケアラー問題への取り組みは、多くの人々に勇気を与えています。困難な状況の中でも前を向き続け、未来を切り開いていく力強さは、まさに私たちが学ぶべき姿と言えるでしょう。