新春の風物詩として、数々のドラマを生んできた箱根駅伝。そのなかでも、勝敗を左右するといわれるのが往路の「5区」です。小田原中継所から箱根の芦ノ湖までの20.8キロで「山の神」と呼ばれる選手たちが生まれた背景、そして最近の変化について、スポーツジャーナリスト・佐藤俊氏の著書『箱根5区』より一部を抜粋、再編集してご紹介します。
【画像】覚えてますか? 箱根駅伝・5区で生まれた「山の神」3選手
【あわせて読む】距離が伸びても縮んでも…箱根駅伝5区が「最重要区間」であり続ける理由。《「山の神」も誕生》山が生む「劇的で残酷なドラマ」
■山の神々を生んだ背景
青山学院大学の神野大地が「3代目・山の神」になった2015年の第91回大会以来、「山の神」は誕生していない。
順天堂大学の今井正人が「初代・山の神」になったのが、07年の第83回大会、東洋大学の柏原竜二が「2代目・山の神」になったのが、09年の第85回大会で、今井から神野までわずか8年間に3人の「山の神」が生まれたことになる。
なぜ、この期間に集中しているのか。ひとつは、区間距離の変更により、第82回大会から20.3キロメートルから23.4キロメートルに増え、それによって5区の戦略的な重要性が増し、勝負を決する区間になったことがあげられる。
山の神が誕生する前から「山を制するものは、箱根を制す」といわれてきたが、それが圧倒的な真実となって各大学に突きつけられることになった。
そのため、各大学は5区強化を押し進め、2区を走れるくらいの走力の高い選手を5区に起用するか、あるいは山に特化し、強い選手をスカウティングしてきて山のスペシャリストに育成して登用した。
実際、今井と神野はともに2区経験があり、柏原は高校教員だった酒井がその足腰の強さに目をつけ、東洋大学に推薦したことが「山の神」の誕生につながっている。
もうひとつは、記録更新の連鎖だ。今井が78分05秒の区間新記録を出して卒業した2年後に、柏原が77分18秒の区間新を出した。柏原が76分39秒で区間記録を塗り替えた3年後に、神野が76分15秒を出して表舞台に飛び出した。
柏原は同郷の先輩である今井を尊敬し、「彼のようになりたい」と5区を駆けて、現実にそうなった。神野は、「『山の神』になることが大きなモチベーションになった」と語るように、5区を走ると決まったときから、「山の神」を目指すことを決めた。彼らはモチベーションと目標設定が明確で、かつ記録を更新していく流れに乗った。






