アメリカではもう「メリークリスマス」と言ってはいけない…「ポリコレ」発祥の地で起きている社会分断


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 ※本稿は、下重暁子『怖い日本語』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

■メディアが過剰な「言葉狩り」を行うワケ

 メディアの言葉が最近無神経すぎる、ということを書いたのですが、昔からある分野についてはたいへん神経質です。

 まず、差別的な用語、そしてスポンサーの意向。差別的な用語の「言い換え」については、とにかく不用意に使用すると抗議活動が非常に激しいものになることもあって、「言葉狩り」と言われるほど過剰になることがあります。

 「床屋」も「八百屋」も「肉屋」もメディアでは使いません。「屋」というのは侮蔑的な用語とされ、理容店、青果店、精肉店と言い換えなくてはならないことになっています。ただ「八百屋さん」といった言葉なら許される。

 私生児は婚外子、孤児院は児童養護施設、裏日本は日本海側、ぎっちょは左利き、低開発国は発展途上国など、こうした「言い換え」は広い範囲で行われています。

 納得できるものも中にはあるのですが、「片手落ち」という言い方は、手に障害がある人に失礼だということで「不公平」や「不用意」などに言い換えたり、「盲蛇におじず」ということわざを使わない、など必要性に疑問を感じるものもたくさんある。

 もちろんこれは法律で決められているものではなく、ほとんどの場合がメディア側の「自主規制」です。メディアは多くの言葉を自主規制によって、言い換えたり、禁止してきたわけです。

 不当な差別はあってはならないことですが、差別的とされた用語を言い換えたり、使用を禁止することばかりが差別意識をなくすことにつながるとは思いません。むしろ、本質から目を背けてしまう結果になることもあります。

 私はつい最近までラジオ日本の番組審議委員をやっていましたが、最近は一時よりは少し余裕が出てきて、苛烈な言葉狩りのようなものは減りつつあるようです。



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